135年の歴史に幕「渡し船銀座」から消える航路 車で乗ってわかった「替えが利かない」役割 読み込み中... 拡大画像 福本渡船が運行する「第拾五小浦丸」(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道側ののりば。クルマが数台待機できるスペースがある(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 運賃の安さに驚く。手書きの看板は味わい深く、「ひんぱんに運航」のフレーズもよい(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 着岸したフェリーから、本土側に上陸するクルマ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 クルマを下ろすと、すぐに積み込みが始まる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 昭和のクルマ、昭和の船、昭和の看板が揃い、タイムスリップしたような気分に。これが撮りたかった(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 たくさんのクルマを積み込んだ第拾五小浦丸は、踵を返すように向島へと出航する(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 たくさんのクルマを積み込んだ第拾五小浦丸は、踵を返すように向島へと出航する(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 対岸までの距離は250mしかない(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 向島側の小歌島桟橋。かつては浮き桟橋の上に屋根の骨組みがあったが、現在は撤去されている(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 小歌島桟橋に近づく福本渡船のフェリー(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 小歌島桟橋に近づく福本渡船のフェリー(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 船に自走で乗り込む(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 航送の場合、クルマに乗ったまま船上で係員に料金を支払う(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 昭和62年のクルマと、昭和59年のフェリーの組み合わせ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 この日は尾道-向島を数往復した。2度目の尾道行きは、クルマを満載(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 自分の愛車がフェリーに乗っている姿はなかなか見られない(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 係員の指示に従って下船(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 運航距離が短いこともあり、客席はこのように簡素なつくり(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 どちらにも進める両頭船なので、操舵室は船体の中心・甲板の上にある(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 船内に貼られていた運航基準図。駅前渡船と航路がクロスしているのが読み取れる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 事業廃止のお知らせがもの悲しい(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 年季の入った向島側の建物(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 駅前渡船ののりばは、尾道駅前桟橋に隣接する(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 右奥のアーチ状の屋根が駅前渡船ののりばだ。尾道駅からはペデストリアンデッキを使っていくことができる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道駅をペデストリアンデッキから望む(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 駅前渡船の運賃表。駅前渡船ではクルマの利用はできない(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 向島側から、神社仏閣風のデザインが楽しい「むかいしまII」がやってきた(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 接岸して乗客を入れ替える。福本渡船にくらべ船が小さいのがわかる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 操舵室はなかなかに凝った造形(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 駅前渡船の向島側のりばである富浜桟橋は、水路に突き出したように置かれている(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 外から見た富浜桟橋(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 のりばの前にはタクシーも待っており、ちょっとした地方の小ターミナル駅的な風情も漂う(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 航路がクロスする福本渡船と駅前渡船。どちらも頻繁に運航されているので、このように向島側で近づくのは日常茶飯事(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 富浜桟橋を出て水路を進む、むかいしまII(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 クルマを運べる尾道渡船(兼吉渡し)。尾道側のりばでは、数台のクルマが待機できる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道渡船では2隻のフェリーが使用される。こちらは第二歌戸丸で、かつては向島の東側から戸崎を結ぶ「歌渡し」で使われていた(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 自走で乗船するのはほかのフェリーと同じ。利用客はそれなりに多め(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 船上で運賃を支払い中の図。甲板があまり広くないことが見て取れる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 この船も、やぐらのようにして操舵室を設置する。第二歌戸丸の建造は、尾道の石田造船。乗った船すべてが尾道で造られていることに感動する。尾道は船の街でもあるのだ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道渡船の向島側ののりばは、兼吉渡しの由来となった兼吉桟橋。右に見える「ろ」の看板を持つ建物は、まさに船の「ろ」を作る職人の工場だ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 兼吉桟橋のさらに東側には、おのみち道の駅(尾道中央ビジター桟橋)があり、ここには、3月中に就航するという尾道渡船の新造船が係留されていた(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道市の本土側と向島を国道317号として結ぶ尾道大橋で、全長は386m。海面からの路面高は34mもあり、歩道から下を覗くとちょっと怖い(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道市では向島に渡る際、尾道大橋を自転車で渡らないように喚起しているが、その理由のひとつが歩道に刺さるこの巨大なケーブル。そもそも歩道も狭い(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 車道の交通量は多く、たしかに自転車では危険を感じるだろう(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 橋の完成は1968(昭和43)年。尾道大橋有料道路として開通した。2013年に無料化された際、渡船の業者に大きな影響を与えたのは言うまでもない(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 2011年に廃止された「桑田渡し」の向島側ののりば跡(肥浜桟橋)。今でも建物がそのまま建っており、往時を偲ばせる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 運航は宮本汽船が行っていた。運賃表も残る(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 フェリーから降りてきた…というシーンをイメージ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道の象徴ともいえる「雁木(がんぎ)」。階段状の船着場で、船を浜に付ける際に干満差があっても対応できる(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 愛車のVWサンタナが第拾五小浦丸の甲板へと進んでいく(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 浮桟橋を渡るサンタナ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 下船する乗客。利用客は3航路でいちばん多い印象(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 桟橋のすぐそばには、大林宣彦監督の作品「あした」で登場した「浜の待合所」のロケセットが移築されている。現在はバスの待合所として使用中(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 尾道本通り商店街は昭和レトロな店とおしゃれな飲食店が並び、観光客を惹きつける尾道の名所。尾道訪問の際はぜひ訪れたい場所だ(画像:遠藤イヅル) 拡大画像 福本渡船が運行する「第拾五小浦丸」(画像:遠藤イヅル) この画像の記事を読む