京急の駅に「美空ひばりの歌碑」どんな関係? 歌の背景に「大開発計画」の紆余曲折 その痕跡を追う 読み込み中... 拡大画像 1922年に造られた“京浜電気鉄道プラン”の川崎運河跡。約1km続く「京町緑地」として残されている。向かって右の壁状のものは、運河の防潮堤(深川孝行撮影) 拡大画像 川崎市臨海部を東西に走る産業道路に残る川崎運河の遺構。向かって左が産業道路で、右部分の地盤が2mほど低いのは、かつて運河をまたぐ「入船橋」があった名残(深川孝行撮影) 拡大画像 旧入船橋の親柱に埋め込まれていた銘板を残した記念碑。産業道路沿いにある(深川孝行撮影) 拡大画像 かつての“京浜電鉄主導プラン”の川崎運河と海との出入り口。手前の水路は旭運河で、奥の水門風の建造物から先に運河が伸びていた(深川孝行撮影) 拡大画像 完成した川崎運河(画像:京急電鉄) 拡大画像 京急大師線港町駅。向かって右には以前、日本コロムビアの大きな工場があり、往時はまさに“日本コロムビア専用駅”の様相だった(深川孝行撮影) 拡大画像 港町駅改札口前に飾られる「港町十三番地」を讃える記念碑(深川孝行撮影) 拡大画像 港町駅に隣接の日本コロムビア工場は現在高層マンションに(深川孝行撮影) 拡大画像 川崎河港水門。文字どおり川崎運河の出入り口となる河港の水門で、「金森式鉄筋煉瓦(レンガ)」「まさかり杭」など当時の最先端技術を取り入れ極めて堅牢に造られている。国登録の有形文化財。港町駅から徒歩10分ほど(深川孝行撮影) 拡大画像 “川崎市主導プラン”川崎運河と多摩川との接続部で、向かって左に多摩川が控え、この箇所は運河へのアプローチ部。奥に見える建物群は味の素川崎工場(深川孝行撮影) 拡大画像 水門の塔の上に飾られた装飾がひときわ目を引く。かつて川崎の名産だった梨、ブドウ、桃がモチーフ(深川孝行撮影) 拡大画像 水門の架橋から運河方面を眺める。残念ながら、船溜まりの大半が埋め立てられてしまっている。向かって左の岸壁に、船舶の接岸の際に船腹の破損を防ぐためのゴム防舷材(ゴムパッド)が残る(深川孝行撮影) 拡大画像 かつて運河に架かっていた橋から水門を遠望。船を係留の際にロープを引っ掛けるボラードが錆びたまま残されている(深川孝行撮影) 拡大画像 京急大師線港町~鈴木町間には、かつて運河を跨いでいた鉄橋がいまだ現存。もちろん橋の下は埋め立てられ運河は見当たらない(深川孝行撮影) 拡大画像 多摩川(右上)と並走する京急大師線(画像:PIXTA) 拡大画像 川崎運河と、「川崎市主導プラン」の運河の大まかな位置(国土地理院「地理院地図」を乗りものニュース編集部が加工) この画像の記事を読む