“西日本最大の赤字路線”の「秘境ターミナル駅」へ行ったら“意外にも大賑わい”だったワケ 「す、座れない…!」 読み込み中... 備後落合駅とその周辺路線(国土地理院の地図を加工)。 拡大画像 宍道駅までは山陰本線キハ126系で移動(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 宍道駅、木次線の時刻表(2025年3月ダイヤ改正前)。列車本数的には観光列車を含めて11本あるが、備後落合行きは11時台と14時台の2本のみ(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 クロスシート以外は空席があったので後ろ寄りの車両に乗ったが、乗車後に、この車両が途中の出雲横田止まりと知る。空いていた理由がわかり、あわてて1両目に移動(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 宍道駅を出発した1447Dの車内。筆者が乗った1両目はおおむね席が埋まる状況(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 木次駅には11時52分の到着。5分間の停車で、宍道行き列車と交換する(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 宍道駅から約1時間40分、11時57分に出雲横田駅に着いた。神社のような威厳ある駅舎は、1934(昭和9)年の築(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 出雲横田駅では14分停車して、後ろの1両を切り離す(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 キハ120形200番台は、キハ120形で最初にデビューした番台で、車体は普通鋼製・車内はクロスシートという特徴がある(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 13時52分、スイッチバックと「延命水」で知られる出雲坂根駅に到着。駅舎は2010年に建て替えられたばかり(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 出雲坂根駅では10分間停車。乗客はめいめいに行動して途中停車を楽しんでいた(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 列車は、これまでの進行方向とは逆向きに出雲坂根駅発車。3段スイッチバックに挑む。写真は、車両後部から出雲坂根駅方向を見たようす。右側が走ってきた線路で、左側がこれから進む線路だ(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 折り返し地点には積雪からポイントを守るスノーシェッドを備える。備後落合行きの列車はここで再び向きを変え、左側の線路へと入っていく(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 14時25分、終点の備後落合駅1番線に定刻着。3時間7分かけて木次線を踏破した(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 駅本屋とつながる1番線から2・3番線への移動は、構内踏切を用いる。ホームを切り欠いた階段も、ローカル線らしい風情がある(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 駅本屋とつながる1番線から2・3番線への移動は、構内踏切を用いる。ホームを切り欠いた階段も、ローカル線らしい風情がある(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 キハ120形は活躍するエリアによって塗装が異なり、オレンジ+黄色帯の300番台は岡山地区向け(遠藤イヅル撮影)紫+青帯の300番台は、広島地区の芸備線・福塩線を走る(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 備後落合駅の時刻表。この少なさで全列車である(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 駅構内は広い。奥にはターンテーブルなどが残り、ここがかつて鉄道の要衝だったことを偲ばせる(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 駅舎内にはかつての風景を切り取った写真が飾られている。駅舎内はご覧のように人でいっぱい(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 備後落合駅には、元国鉄職員で、ボランティアでガイドを務める永橋則夫さんが駅や芸備線の歴史を解説してくれる。備後落合駅に行った際には、ぜひ話を聞くだけでなく、かつて栄えた時代について聞いてみるとよいだろう(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 1984年7月における、芸備線の時刻表。備後落合駅に急行列車が通っていたほか、列車本数も約2倍あることがわかる(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 備後落合駅。芸備線広島方面に向かう三次行きが2番線、芸備線新見行きが3番線に。1日でわずか20分のみ1~3番線が埋まり、ターミナル駅らしい活気をわずかに取り返す(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 キハ120形200番台の2両編成で宍道駅に入線する木次線備後落合行き1447D。ホームには想像以上に乗客がいてびっくり(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 備後落合駅舎は1935(昭和10)年の開業時からこの地に建つが、外観は改装されている。山間部の駅としては駅舎が大きく、こちらも栄華を感じさせる(遠藤イヅル撮影) 拡大画像 1976年当時の備後落合駅。蒸気機関車が活躍した最盛期が過ぎた頃だが、それでも交通の要衝という役目が強かった時代だけに、駅構内の建物は多く、駅前が栄えていたことが伺える(画像:国土地理院) この画像の記事を読む