米軍が80年越しに返還!「激レア日本戦車」が里帰り ポイントは攻撃力を増した新砲塔 読み込み中... 拡大画像 里帰りして静岡県御殿場市にあるNPO法人「防衛技術博物館を創る会」のバックヤードに到着した九七式中戦車。車体は機関部側面にハッチが付いた後期型である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 車体後部の機関室上部のパネルが外れているので、空冷12気筒ディーゼルエンジン(最大170馬力)の一部が見えている。今後のレストア作業では、こうした動力系統の可動も目指す方針である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 横浜港の本牧埠頭において、トレーラーでの陸送に向けての準備で海上輸送用に被せられていた特殊な白い保護カバーを外される九七式中戦車。中から実車が現れる感動の瞬間であった(吉川和篤撮影)。 拡大画像 大型クレーンで台座ごと吊り下げられる新砲塔チハ。外された戦車砲や欠落部品のため、本来は15tあるはずの戦車の重量は13t程度になっていた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 車体前方から見た九七式中戦車。車体右側に操縦席には前方ハッチが、左側の無線手席に車体銃(7.7mm九七式車載重機関銃)のボールマウントが見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 トレーラー輸送で静岡県御殿場市のNPO法人のバックヤードに到着した九七式中戦車の左側面。後部の張出しが付いて大型化した砲塔の形状が良くわかる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じくバックヤードに置かれて左斜め後方から見た新砲塔チハ。一見程度が良さそうだが、いくつかのハッチは失われ、上部転輪も先頭を除いて破損している(吉川和篤撮影) 拡大画像 新砲塔の後部ハッチは失われているが、それにより車内が少し見える。その横の砲塔銃(7.7mm九七式車載重機関銃)のボールマウントはしっかり残っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 車体左側面の足回りの状態。ゴム部分は傷みがあるが水平コイルスプリング式サスペンションも残っており、レストア作業により走行可能な状態まで持って行けそうである(吉川和篤撮影)。 拡大画像 転輪や上部転輪のゴム部分には、写真の「昭和護謨株式会社」や「ブリヂストンタイヤ」、「日本タイヤ株式会社製」などのメーカー刻印も確認できる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 里帰りを祝い、陸軍工科学校が1939(昭和14)年8月に発行した、「試製九七式中戦車取扱法」案のタイトルでマル秘スタンプが押された教本(マニュアル)と一緒に撮影。こうした中戦車教本は千葉陸軍戦車学校でも発行された(吉川和篤撮影)。 拡大画像 1970年代にサイパンの海岸で発掘され、戦友会の尽力で日本に戻った短砲身の57mm戦車砲装備の九七式中戦車。数度に及ぶレストア作業で補修され、現在も東京・靖国神社の遊就館に展示されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 大型クレーンを使ってトレーラーに積載される九七式中戦車。新砲塔チハと呼ばれるタイプだが、長砲身の47mm一式戦車砲はアメリカに残された(吉川和篤撮影)。 拡大画像 満州の四平陸軍戦車学校所属の九七式中戦車(新砲塔チハ)の前で軍刀を手にポーズを取る戦車兵(曹長)。前期型車体に新砲塔の組合せも目をひくが、この47mm戦車砲を搭載した大型砲塔の側面装甲板は、他の量産車と異なり熔接となっている(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 海外でレストアされ走行可能になってから再び里帰りした、御殿場のNPO法人所有のオリジナルの九五式軽戦車(ハ号)。今回帰国した九七式中戦車も、こうしたレベルでの動態保存を目指してレストア作業が行われる予定である(吉川和篤撮影)。 この画像の記事を読む