なぜ沖縄だけ「アメリカ式道路交通」に変わった? GHQ占領下の東京・大阪が「戦前のまま」だったワケ 理由は “バス” ってホント!? 読み込み中... 1972年まではアメリカ統治下の沖縄向けに、国産車メーカーは左ハンドル仕様車を製造・販売していた。写真は軽自動車の三菱「ミニカスキッパー」(画像:パブリック・ドメイン)。 拡大画像 1957年の那覇市国際通り。右側通行でトラックとバスがすれ違っている(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 1959年の美里村(現在の沖縄市の一部)。左ハンドル仕様のバスは乗降口が車体右側となるため、左側通行に変わった場合、そのまま使うことは安全性の面で難しい(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 1965年の名護市内(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 琉球警察(現在の沖縄県警察)のアメ車パトカー。当時は米軍統治下だったため、これら公用車の多くにアメリカ車が多く使われていた(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 那覇市の消防車。日本製のトラックベースの消防車だが、左ハンドル仕様だ(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 那覇市で行われた出初式の写真。目の前の消防車はトヨタのランドクルーザーベースだが、左ハンドル仕様だ(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 1971年当時、沖縄に駐留していたアメリカ軍憲兵のパトカー(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 1961年の沖縄県の観光バス。左ハンドル仕様のバスは乗降口が車体右側となるため、左側通行に変わった場合、そのまま使うことは安全性の面で難しい(画像:沖縄県公文書館)。 拡大画像 1972年4月の那覇市内。右側通行で、多くのクルマが行き交っているのがわかる(画像:沖縄県公文書館)。 この画像の記事を読む