戦争終わったはずじゃ!? ソ連潜水艦による一週間後の惨劇「三船殉難事件」1700人余が犠牲 でも日露両政府は認めず 何故?【前編】 読み込み中... 拡大画像 ソ連の北海道占領作戦の概要図。ソ連は留萌と釧路を結んだ線の以北を占領し、北海道をアメリカと分割統治しようと計画していた(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 サハリン州立郷土博物館の建物。1937年に樺太庁博物館として建設・開館したのち、第二次世界大戦末期には旧日本陸軍の第88師団司令部が置かれた(画像:PIXTA)。 拡大画像 ウラジオストクで屋外展示されている旧ソ連海軍のS56潜水艦。艦内は博物館として用いられている(画像:PIXTA)。 拡大画像 第二次世界大戦中にソ連海軍が運用していたL型潜水艦の4番艦「L-4」(画像:パブリックドメイン)。 拡大画像 ウラジオストクで屋外展示されている旧ソ連海軍のS56潜水艦。艦内は博物館として用いられている(画像:PIXTA)。 拡大画像 留萌市の海のふるさと館横公園に建てられている「樺太引揚三船殉難(からふとひきあげさんせんじゅんなん)平和の碑」(柘植優介撮影)。 拡大画像 海底電纜(でんらん)敷設船「小笠原丸」(画像:留萌市教育委員会)。 拡大画像 特設砲艦兼敷設艦「第二号新興丸」(画像:留萌市教育委員会)。 この画像の記事を読む