世界初の「寝台座席可変電車」583系 なぜ生まれ、消えていったのか(写真10枚)

九州鉄道記念館で保存されているクハネ581形。普通列車用に改造されたのち、塗色などが復元された。改造は小倉工場の技術向上に貢献したという(2008年8月、杉山淳一撮影)。
九州鉄道記念館クハネ581形の特急「月光」行き先表示(2008年8月、杉山淳一撮影)。
583系B寝台は、パンタグラフ下だけは2段寝台だった。中段はやや天井が高く、ほかの中段と料金は同じ。「パンシタ」と呼ばれて人気だった(2014年12月、杉山淳一撮影)。
285系電車には、個室寝台のほか、ごろ寝の「ノビノビ座席」も用意されている(2007年6月、恵 知仁撮影)。
団体列車として使われた583系電車(2014年12月、杉山淳一撮影)。
団体列車として運行した583系電車(2014年12月、杉山淳一撮影)。
向かい合わせボックスシートの天井部分に中段・上段寝台を格納している。
下段ベッドをセットした状態。客車A寝台より若干幅が広かった。
ゆったりとしたボックスシート。新婚旅行客や1人客などから不評だった。
285系電車で運行されている寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」(2009年2月、恵 知仁撮影)。

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コメント

10件のコメント

  1. 583系の実績は記念碑に値するが、715系に改造される昭和58年頃はむしろ失敗作という向きが多かった。59-2.60-3改正時車両の新製を極端に減らしたから715.419系で再起出来た。
    そうでなければ50系客車のように早期に全廃された可能性も高い。

  2. 前世紀かつ前元号のころ、583系に乗るために「きたぐに」で立山黒部アルペンルートに行った。これが最初で最後の乗車。

    • 夜行「立山」でしたね。

  3. 現行の「サンライズ出雲、瀬戸」も数年後には車両自体の老朽化がクローズアップされるでしょう、その時点で乗客数や収益面で採算ラインに合っていれば大規模リニューアルや新車導入されるかもしれんが、下手すればコスパの観点から廃止されかねない

  4. 秋田に行くとき、運賃と乗車時間を考えて夜行バスではなく急行津軽にした。
    583系に乗りたかったのもある。
    念のため指定席を予約したが、自由席も空いてるので1ボックスを占領し、勝手にベッドへw
    車掌も判っていて、翌朝客が乗りはじめたら座席に戻すよう言われた。
    山形の真室川で迎えた朝は忘れられない。
    総じて気軽な旅行だった。

  5. 583系に乗った時の一番の思い出は、客室は2段目3段目が格納されたカバーや網棚で天井は高いけど幅が狭く、ちょっと圧迫感があったけれど、食堂車は座席車(グリーン車)にある網棚もなく、天井の幅も広くとても高くて開放感・ゆったり感がすごかったことです。あのゆったり感に浸りたくて、食堂車に足を運んだものです。
    後年、「トワイライト」の食堂車が485系譲りだったので、583系だったらもっとよかったのにとちょっと残念に思ってもいました。

  6. 「寝台座席可変」で車両基地で停まってる時間を減らし、「電車」で折り返しの時間を減らした。つまり最大限走らせる為に造られた車両な訳で、重量を抜きにしても痛みの激しくなる運用をされたはず。更に改造して加減速を繰り返す普通列車で酷使。貧乏国鉄ここに極まれり?

    「きたぐに」の様な夜行急行と昼行急行(夜行以前に絶滅)が設定できてれば、それが当初想定通りの最もふさわしい運用だったろうに。夜行に座席を混在できたし、特急としては座席の足元狭かったし。(広かったという人は、向かいに誰も座ってなかったのだろう)

    「きたぐに」で思ったのは「走るカプセルホテル」。3段とも四角い箱空間ではなくて、下段では大きな窓に寄れば上半身起こせて、ちょっと違った意味で特別感はあった。

    • なるほど一理ありですね。
      北陸本線で言えば「立山(昼行)」「ゆのくに」、鹿児島本線は「かいもん(昼行)」、日豊本線は「日南(昼行)」に宛てられていれば、今よりも格段に名車の誉れ高かったかも知れませんね。

      そして国鉄が存続したか、別の形での継承企業体が営まれていたならば、もう少し早い段階で後継車輌が登場していたか・・・?

    • 実は国鉄末期はJR以上に夜行列車の投資には消極的だったのでむしろ座席車化して消滅という考えもあったでしょう。14系15形が限定的な投入だった事、当初から個室B寝台を改造で行う(設計時は国鉄時代)点にその考え方が垣間見れます。

  7. かっこいい車両だったけど。向かい合わせの席が特急らしく無かった。寝台は高くて乗れなかった。製造当初は目的に合っていたのでしょうが、その後は欠点が目立っていたのですね。