日本橋に空は必要か 川の水面から眺める首都高のいまの姿(写真50枚)

西河岸橋(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
呉服橋出入口が接続する一石橋。橋の両岸に後藤さんの家があったことから、「五斗+五斗」で「一石」と名付けられたという説がある(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
常盤橋と日本銀行(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
常盤橋に「この先常磐橋工事中」の看板。よく見ると「盤」と「磐」の字が違う。(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
工事中の「常磐橋」は、もともと江戸城の「常盤橋門」に架かっていたもの。工事現場に見える石垣はその門の遺構(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
もともとあったのは現「常磐橋」で旧名が「常盤橋」、次にできたのが「新常盤橋」、最後に現「常盤橋」が架けられた(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
現「新常盤橋」は1988年に東北新幹線の高架建設にあわせ架けかえられたもの(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
山手線や京浜東北線の橋で、1918年に架けられた「外濠橋梁」と呼ばれる鉄道橋。キーストーンに鉄道省の動輪マークが掲げられている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
鉄道省の動輪マークには「大正七年」と建設年が書かれている。上流側には親柱のあと(写真右側)が残されている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
左から首都高Y八重洲線が近づいてきてしばらく並走、神田橋JCTで合流する(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
かつて鎌倉から切り出した石を運んだ鎌倉河岸があったことから名づけられた鎌倉橋(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
首都高神田橋出入口と一体化している神田橋(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
神田橋付近。首都高と日本橋川の水面が近い(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
神田橋付近。首都高と日本橋川の水面が近い(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
神田橋付近。首都高と日本橋川の水面が近い(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
錦橋。千代田区観光協会によると、近くに一色という武家屋敷が2軒あったので、二色から錦へと転化したという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
首都高の下に江戸城の石垣がよく残されている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
一ツ橋。一橋大学や徳川御三卿のひとつ一橋家の名前の元となった橋は、もともと、1本の大きな丸太橋だったという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
一ツ橋をすぎたあたりで、C1都心環状線と5号池袋線が交わる竹橋JCTが見えてくる。都心環状線は左へそれ、日本橋川上空は5号池袋線が走る(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
千代田区観光協会によれば、その昔徳川家康が、外国使節饗応のためこのあたりにキジを囲ったことから「雉子橋」と名付けられたという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
雉子橋を過ぎたあたり。上空はまだ竹橋JCTが続いている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
雉子橋を過ぎたあたり。上空はまだ竹橋JCTが続いている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
千代田区役所わきに宝田橋、そのほとりにあるのは防災船着場。災害時に帰宅困難者や物資のスムーズな水上輸送を図るために設けられたもの(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
防災船着場は日本橋川には日本橋船着場をのぞき3か所設けられている。緊急時以外の使用は禁止(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
俎橋。難読だが、下流側から橋を眺めると「まないたばし」と大きく書かれている。名前の由来ははっきりしない(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
江戸時代、近くに御台所町があったというが、橋名と関係があるかどうかは不明(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
南堀留橋のあたりは近くに首都高の出入口がある関係で、その高架も幅が広く、低い(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
堀留橋。現在の三崎橋から俎橋辺りまでいったん埋め立てられ、1664年に俎橋からこの橋の付近まで再び掘削された(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
堀留橋から神田川に至る区間は1903年に再び掘削され、日本橋川と神田川が結ばれた。(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
日本橋川の浄化活動が実施されている(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
新川橋は1903年の水路掘削の際に新たに架けられた(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
上流から望む堀留橋。首都高西神田出入口が接続する下流側とは少し印象が異なる(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
あいあい橋は歩行者専用橋。「飯田橋」「飯田町」のイニシャルにちなみ、和気あいあいの願いを込め、地元住民の投票で命名されたという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
あいあい橋を過ぎ、新三崎橋の手前あたりで、首都高の高架が左へそれていく(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
新三崎橋は1926(大正15)年11月24日に架橋(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
新三崎橋のすぐ上流にJR中央本線の小石川橋通架道橋。その向こうに三崎橋、そして神田川。通過する列車は、水面から眺めると実に間近(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
周囲はこうした古い鉄道橋が多い一帯でもある(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
日本橋川から眺めた首都高江戸橋JCT。うねる巨大なコンクリートの構造物が川面近くにまで迫る(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
「勝どきマリーナ」が配布する周辺エリアマップ。ふだん目にする陸上の地図とはまったく異なる表情が見えてくる(画像:勝どきマリーナ)。
日本橋川の最下流に架かる豊海橋。
川上に向かい右手から6号向島線の高架が迫る。
鎧橋のたもとに「兜町」こと東京証券取引所。
江戸橋JCTが近づき、高架が分岐し始める。
江戸橋JCTの少し川上に江戸橋。
かつてすべての国道の起点だった日本橋。
橋中央の欄干に据えられた青銅像は翼の生えた麒麟。ほか「はし(8×4)」にちなみ片面16、両面で32の獅子(4×4)像が配されているという(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。
写真の「道路元標地点」オブジェの真下、橋上に「日本国道路元標」が埋め込まれている。
歌舞伎役者の坂田藤十郎さんと市川團十郎さんにちなむ「双十郎河岸」。
東京都建設局の清掃船。真ん中のコンベア部分にゴミを掻き揚げて回収。
ヤマハマリンクラブ「シースタイル」でレンタルしたAS-21と勝どきマリーナの今野キャプテン。(2017年6月7日、羽田 洋撮影)。

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コメント

7件のコメント

  1. >もしも日本橋川が空を取り戻し、水面が明るくなったなら、より美しい川辺の景観が広がることになるのかもしれません。

    >世界初の都市高速である首都高の、ビルの合間を縫うように高架が走る姿は、これまでSF映画などの創作物へ大いにインスピレーションを与えてきたという声も聞きます。日本橋の上に首都高の高架が走る景観こそが、地層のように歴史が積み重なっている姿であるという見方もできるでしょう。

    双方ともに、大いなるエゴイズム。

    各自の自己満足のためにこの問題が議論されることは、日本橋自身も望んじゃいないだろう。

  2. 清水 草一さんか?

    • 私もそう思いました。
      けど、乗り物ニュースから引退したのでは?

  3. 日本橋が歴史的に重要というのもあるが、日本橋そのものをどうこうしているわけでなく、その上を走る首都高にも歴史がある。

    観光化のためとの意見もあるが、日本橋の上に高速が走るのも、日本の風景である。電線も外人からしたら注目のポイントになっている。

    一番費用のかからない方法を望む。

  4. ご承知と思いますが、日本橋の地下道に200年前の日本橋付近を描いた熈代照覧絵巻が飾って在ります。
    空を取り戻した未来の日本橋を早く見たいものです。

  5. 高速の地下化によるメリットデメリットは景観と高額の建設費だけではないのだから、他のメリットデメリットも議論すべき。
    メリットとしては線形の悪さからくる死傷事故の多さや渋滞の改善、地盤が振動を抑制することから橋梁に比べて耐震性が高くなる、換気所を通すことによる大気汚染の改善など。
    デメリットとしては土木遺産として価値のある首都高が失われること。
    個人的には今の酷すぎる線形のまま更新するぐらいなら地下化してもよいのではないかと思う。

  6. ここに橋が架かったのは400年以上も前のこと。この400年を前に高々50年そこらの時間で、しかも当時だって仕方なく渡した高架を「歴史」と語るとは何ともおこがましいですが、それ以前に空はあるのが当然のものであって観光のために取り戻すという発想がそもそも貧しいですね。