実働わずか8か月! 東京に残る「薄幸」鉄路、武蔵野競技場線の跡を歩く(写真17枚) 読み込み中... 拡大画像 分岐点にある堀合児童公園。敷地全体が右に向かってカーブしている(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 ぎんなん橋の横からわずかに見える武蔵野競技場線時代の遺構(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 1941年の境浄水場周辺。このころは武蔵境駅から浄水場への引込線しかなかった(国土地理院の航空写真を加工)。 拡大画像 1947年11月に米軍が撮影した写真。浄水場への引込線から分岐する形で中島飛行機への専用線が敷かれた。浄水場への線路は畑になっているようだ(国土地理院の航空写真を加工)。 拡大画像 三鷹駅西側の三鷹跨線橋から西側(武蔵境方面)を望む。保線車両の基地がある所が、かつての武蔵野競技場線跡(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 堀合遊歩道に残る国鉄の敷地境界票。かつてはたくさん見られたが、いまはわずか数基を残すのみ(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 玉川上水の橋梁跡に架けられた「ぎんなん橋」。すぐ横に新武蔵境通りの歩道がある。埋め込まれたレールは当時のものではない(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 ぎんなん橋の北側には、橋台跡の由来を示す説明板がある(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 1956年、東京グリーンパーク球場が解体される直前ごろの写真。武蔵野競技場線と境浄水場への引込線が見える(国土地理院の航空写真を加工)。 拡大画像 2006年当時の武蔵野競技場線橋台跡。これは南側の橋台で、その構造をよく観察できた(2006年6月、栗原 景撮影)。 拡大画像 2010年、ぎんなん橋の架設工事が始まったころの橋台跡。遺構は一部が道路を支障し、南側の遺構は向かって右側の一部が削られてしまった(2010年2月、栗原 景撮影)。 拡大画像 2000年ごろまで「みどり橋」が架かっていた境浄水場引込線も、いまは橋台跡が残るのみ(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 玉川上水を斜めに渡っていたみどり橋の延長線上に境浄水場の南門がある。道路に対して斜めに架かっているのが鉄道時代の名残(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 グリーンパーク遊歩道には戦争関連遺構の案内板が充実している。「グリーンパーク」とは、中島飛行機武蔵製作所跡地を接収した米軍が付けた名称だ(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 遊歩道周辺には野菜の無人販売所も。新里芋200円、ゆず100円など格安(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 左側の、修繕工事中のマンションが線路跡。路線廃止後も土地は国鉄が所有し、90年代まではここにはJRの社宅があった(2018年12月、栗原 景撮影)。 拡大画像 スーパーや飲食店が並び駅前のような雰囲気の武蔵野競技場前駅跡周辺。奥の交差点が、駅があった場所。線路は左の方へ延びていた(2018年12月、栗原 景撮影)。 この画像の記事を読む