まるでハリネズミ! 発見された旧海軍重巡「摩耶」が主砲を下ろしてまで目指したもの 読み込み中... 拡大画像 旧日本海軍では、戦艦同士の決戦前に駆逐艦や巡洋艦で夜戦を仕掛け、敵戦艦戦力を少しでも削ろうという「漸減作戦」が戦前の対米基本方針だった(画像:佐藤鉄城 著「危機一九三六年と日米の海軍(日米若し戦はば)」国立国会図書館蔵)。 拡大画像 1939年3月に撮影された摩耶の、第1番から3番までの20.3㎝連装砲塔(画像:アメリカ海軍)。 「城郭の如き」と表現された「摩耶」(画像:佐藤鉄城 著「危機一九三六年と日米の海軍(日米若し戦はば)」国立国会図書館蔵)。 当時の絵葉書になった竣工時の「摩耶」。 拡大画像 1943年11月5日、「サラトガ」艦載機から撮影されたラバウル空襲の模様。左側中央で煙を上げているのが「摩耶」とされる(画像:アメリカ海軍)。 防空に特化した改装がなされた「摩耶」、第3砲塔が撤去されているのが分かる。写真は1944年5月にフィリピンで撮影されたもの(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む