まるでハリネズミ! 発見された旧海軍重巡「摩耶」が主砲を下ろしてまで目指したもの
旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」といえば、まるでハリネズミのように装備された対空火器で知られます。とはいえその姿は、竣工当初に期待された役割とは大きく異なるものでした。時勢に翻弄された「摩耶」の航跡を追います。
海底に眠る「摩耶」発見
アメリカの調査チームがまたやってくれました。
故ポール・アレン氏が設立した調査チームが2019年4月19日に、フィリピン最西端のパラワン島沖、水深1850mの海底で、日本海軍の重巡洋艦「摩耶」を発見したと、フェイスブックで7月2日に発表しました。雷撃によって浸水沈没したせいか、構造物は往時の面影をよく残しているようです。
「摩耶」は高雄型重巡洋艦の4番艦で、1928(昭和3)年に起工され、1932(昭和7)年6月30日に就役しました。同型艦は「三年式二号20cm連装砲」(実寸は20.3cm)を主砲としますが、これは対艦、対地だけでなく対空射撃にも使える「両用砲」とされます。現代の艦載砲は両用砲が一般的ですが、1920年代後半に計画された高雄型から主砲を対空射撃に使おうということは、つまりこのころから航空機の脅威が高まっていたことを示しています。
また、旗艦機能を持たせるために、武装配置など艦のレイアウトは工夫され居住性も良好で、艦内設備の使い勝手もよく乗員からは好評な艦でした。大型の艦橋は指揮所、操舵室、測的所、幕僚室などが充分な広さをもって設置されて天守閣にもたとえられ、高雄型の特徴ともなりました。艦橋容積は前級の妙高型の約3倍だったといいます。もっとも運用が始まると、“天守閣”は夜戦でシルエットが目立つ、重心が高くなって復原性が悪い、といった指摘もありました。
こういうハリモグラ型ゾイドいたな
文中「漸減(ざんげん)作戦」とありますが、「ぜんげん」が正しい読みだと思います。
これはうちのじいさんが乗ってた船ですね。もともと軍艦ではなく商船を改造した船で主砲を撃つと壁が曲がるって言ってました。軍艦は小さい部屋で区切られていて左側に魚雷を受けて浸水すると右側も浸水させてバランスをとるとか、軍艦が沈没するとき渦ができるから速やかに待避することなど聞きました。マーシャル諸島から揚子江まで船で巡ったみたいですがどうやって生きて帰ったのだろう。恐らく椰子の木で碁石の入れ物を作ったとか話しても戦争の悲惨は教えてくれないでしょうね
それは摩耶じゃない、摩耶山丸だ。
摩耶って名前がカッコいいよね。
愛宕高雄の締まらない感じ(失礼)に比べて、摩耶・鳥海て
センス良すぎか
この軍艦には、祖父の実弟(大叔父)が機関兵として乗り組んでいて、まさにこのレイテ沖海戦で、アメリカ潜水艦・デイスに雷撃されて艦と運命を共にしましたから、、、、かって憲兵だった祖父は、私が幼いころ、三重県の大王崎というところに連れて行ってくれて、太平洋を一望できる灯台の建っていた丘の上から、「あれが太平洋だよ」と指さしながら、目に涙を浮かべて大海原を眺めていた情景が今も忘れられません。
一番好きな巡洋艦です。高雄型の中でも少し仕様が違ってた。