東京オリンピック道路「環七」、オリンピックであまり役に立たなかったナゾ 読み込み中... 1964年10月10日、「オリンピック東京大会」開会式(画像:東京都)。 1964年10月5日に撮影された代々木選手村スナップ(画像:東京都)。 環七上馬交差点。首都高と玉川通りとクロスする(2019年9月、内田宗治撮影)。 環七の東急世田谷線若林踏切。クルマの信号優先で、電車はそれに合わせて手前で停止、進行する(2019年9月、内田宗治撮影)。 駒沢オリンピック公園。環七近くにあるが、この施設に行くのに環七はほとんど使われなかった。遠くに環七も写っている(画像:東京都)。 環七若林交差点を望む。世田谷通りを右折すると馬事公苑へ至る(2019年9月、内田宗治撮影)。 ワシントンハイツ配置図。この施設を利用(一部改修)して選手村とした(国立公文書館所蔵の1962年1月付け資料より)。 1964年10月5日に撮影された代々木選手村のスナップ(画像:東京都)。 関連記事 買っても売ってもお得! バイク王の一大決算セール開催中!! (PR)バイク王 なぜ“クルマ好き”が集まるように? 首都高「大黒PA」最初は“全く違う聖地”だった!? 目玉の施設がどうでもよくなったワケ 小田急「ロマンスカー」歴代の“人気車種”は? 高速で渋滞したら「ハザードランプ」は点けなきゃいけない? 実は知られていない“法的な位置づけ” 奈良の「ブツ切り高速」京奈和道の進捗あきらかに 「遺跡が出てきて」事業費増額 「2031年には使いたい」と県 この画像の記事を読む