屈指の幸運艦 空母「瑞鶴」が見た旧日本海軍機動部隊 その全盛と最期とは 読み込み中... 1944年10月25日レイテ沖海戦にて。総員退艦命令が出た「瑞鶴」の甲板に集まり、万歳を唱える乗組員を艦橋から。傾斜している様子が分かる(画像:アメリカ海軍)。 アメリカ海軍の識別表に記載された翔鶴型空母(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月25日レイテ沖海戦にて、アメリカ海軍の急降下爆撃から回避行動をとる「瑞鶴」(左下)と「瑞鳳」(右上)。左下端に急降下するSB2C「ヘルダイバー」爆撃機。海面には水柱が見え、空中には対空砲火が炸裂している(画像:アメリカ海軍)。 1944年10月25日11時頃、レイテ沖海戦で損傷した「瑞鶴」から小沢中将の将旗を移すため、接近する軽巡「大淀」を飛行甲板上から撮影したもの(画像:アメリカ海軍)。 1941年9月25日、神戸沖で撮影された竣工直後の「瑞鶴」(画像:アメリカ海軍)。 映画『雷撃隊出動』より、「瑞鶴」を発艦した艦上攻撃機「天山」の後部座席から撮影したひとコマ。 1944年10月25日、レイテ沖海戦にてアメリカ海軍艦載機から撮影された、攻撃を受け炎上する「瑞鶴」(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む