「墓地電車」から始まった阪急千里線100年の激変 一時「京阪電車」だったことも 続く進化 読み込み中... 千里線と京都線で2層の高架を建設中(宮武和多哉撮影)。 淡路~柴島間(宮武和多哉撮影)。 奥が千里線、手前が京都線の高架。都市計画道路はこの部分だけ分断されている(宮武和多哉撮影)。 写真の中央奥が阪急淡路駅の東口。駅舎は仮設となっている(宮武和多哉撮影)。 下新庄駅の上空にも高架が建設されつつある(宮武和多哉撮影)。 北千里駅に並ぶ大阪メトロ堺筋線の車両(宮武和多哉撮影)。 北千里駅の自動改札機。開業当時の自動改札はもちろんICカードなどなかった(宮武和多哉撮影)。 北千里駅構内で自動改札の事績を伝える「IEEEマイルストーン」。(宮武和多哉撮影)。 北千里駅バスロータリー(宮武和多哉撮影)。 北千里駅から古江台・青山台などを循環するバス(宮武和多哉撮影)。 万国博西口駅があった辺り。痕跡は何もない(宮武和多哉撮影)。 天神橋筋六丁目駅の北側。地下鉄直通以前のターミナルだった旧天神橋駅へ、ここから写真奥のほうに高架が延びていた(宮武和多哉撮影)。 千里線の終点、北千里駅(宮武和多哉撮影)。 北千里駅の先に延びる留置線は、万博輸送時にも活用されたという(宮武和多哉撮影)。 淀川を渡る阪急電車(宮武和多哉撮影)。 この画像の記事を読む