不吉を運ぶフネ? 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」短命ながらも“The 疫病神” 読み込み中... 拡大画像 マレー沖海戦で沈む直前、1941年12月シンガポールに到着した「プリンス・オブ・ウェールズ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 スーパーマリン・ウォーラス飛行艇を降ろす「プリンス・オブ・ウェールズ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 「プリンス・オブ・ウェールズ」の40mm多連装対空機関砲。通称「ポンポン砲」と仰角をかけた5.25インチ(133mm)連装両用砲(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 「プリンス・オブ・ウェールズ」の5.25インチ(133mm)連装両用砲(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 1941年8月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(当時)と会談を行うため、カナダへ向かうチャーチル首相(当時)を乗せた「プリンス・オブ・ウェールズ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 マレー沖海戦で沈む直前、1941年12月シンガポールに到着した「プリンス・オブ・ウェールズ」。長い航海の影響で艦首側面の迷彩塗装に剥離が見られる。(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の1番および2番主砲塔。イギリス海軍ではアルファベットの順番からそれぞれA砲塔、B砲塔と呼ぶ(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 拡大画像 1941年8月、極東へ派遣される前の「プリンス・オブ・ウェールズ」(画像:帝国戦争博物館/IWM)。 この画像の記事を読む