ミッドウェー海戦大敗北は「利根四号機」の責か 重巡「利根」とその艦載偵察機の戦い 読み込み中... 拡大画像 アメリカ海軍の艦種識別表に記載された、旧日本海軍重巡洋艦「利根」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1944年10月25日、レイテ沖海戦のサマール沖海戦で米護衛空母「ペトロフ・ベイ」艦載機から撮影された「大和」(中央)と利根型巡洋艦(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 「利根四号機」としても使われた零式水上偵察機。戦艦や巡洋艦など主力艦艇に搭載され、文字通り海軍の目となった。 拡大画像 重巡洋艦「利根」。1937年撮影(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 ミッドウェー海戦、日本機動部隊からの索敵線。利根四号機は予定のコースを飛ばなかったため米空母と接触できたが、誤った位置を報告した(作図:月刊PANZER編集部)。 拡大画像 1945年7月24日、呉で空襲を受ける「利根」。米空母「シャングリラ」の艦載機が撮影(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 1945年10月8日に撮影された、呉で大破着底した「利根」(画像:アメリカ海軍)。 この画像の記事を読む