規模デカすぎ「新宿駅」!? “シン東京駅”になるはずだった本当の構想 新幹線も通勤新線も発着も全てここから!

日本一の利用者数を誇る新宿駅は、昭和時代に代々木駅までまたがる巨大駅「新宿総合ターミナル」構想が立てられていました。どのような構想で、どのような背景があったのでしょうか。今日の新宿駅を観察すると、その構想との共通点もあります。

かつて存在した「新宿総合ターミナル」構想とは

 東京駅の立地を決定した後藤新平(1857-1929)は後に、東京が西に拡大する実情を踏まえると「中央停車場」は新宿に置くべきだった、東京の中心は新宿になると語ったといわれています。東海道、東北、中央線が結節する東京駅は長らく日本一の利用者数を誇っていましたが、1966(昭和41)年度に初めて新宿駅が上回ると、現在までトップの座を守り続けています。

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新宿駅の南側。写真奥の高層ビルが2016年竣工のJR新宿ミライナタワー、右が1996年開業のタカシマヤタイムズスクエア(画像:PIXTA)

 新宿駅は140年前の1885(明治18)年、日本鉄道品川線(現在の山手線)の開業とともに誕生し、1889(明治22)年に甲武鉄道(現在の中央線)が開業すると、私鉄2路線が交差するターミナル駅としての歩みを始めます。

 戦前には小田急電鉄、京王電鉄、戦後には営団丸ノ内線、都営新宿線が新宿駅に乗り入れるとともに、国鉄・JRも1986(昭和61)年に埼京線、1991(平成2)年に特急「成田エクスプレス」、2001(平成13)年に湘南新宿ラインの運行を開始。さらに2040年代に向けて新宿駅、駅前広場、駅ビルを再編・一体化する「新宿グランドターミナル」構想が進められています。

 名実ともに日本最大のターミナルとなった新宿駅ですが、1970年代には新宿駅から代々木駅にまたがる巨大駅「新宿総合ターミナル」構想が立てられていました。一体、どのような構想で、どのような背景があったのでしょうか。

 1970年代の新宿駅大改良計画には複数の背景があります。新宿駅西口には長らく1898(明治31)年に操業開始した淀橋浄水所が存在しており、1930年代に移転の方針が決定したものの、その後の戦争で計画は停滞しました。高度成長期を迎えた1960(昭和35)年に「新宿副都心計画」が決定すると、1965(昭和40)年に淀橋浄水場が廃止され、再開発が始まりました。

 東京は江戸以来の市街地である銀座、有楽町、大手町、日本橋、戦前に開発された丸ノ内などの「都心」に政治経済、消費、文化が一極集中していました。こうした都市構造を是正するため、交通結節点である池袋、新宿、渋谷を副都心として育成する計画で、その中でも広大な用地を持つ新宿は中心として期待されていました。

 鉄道側の問題意識も同様でした。首都圏では1960年代から東京駅を中心とした主要路線の複々線化・三複線化工事「通勤五方面作戦」を進めてきましたが、これ以上の輸送力増強は困難であり、東京駅にはホームを増設する用地も残されていませんでした。

 国鉄は「需要追随」の通勤五方面作戦では根本的解決にならないとして、1970年代以降、郊外の住宅開発と一体化し、需要の分散を図る「開発先行」型路線の必要性を認識しました。そして新宿副都心構想と連動し、すべて新宿駅を経由する東海道・中央・総武・東北・高崎・常磐各線のバイパス線「開発線」を構想したのです。

【地図】「新宿総合ターミナル」での新幹線+各開発線の配置

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