完全な姿は世界で1機のみ! 岐阜に残る三式戦闘機「飛燕」 “和製メッサー”はなぜ生き残った? 読み込み中... 拡大画像 左斜め前方から見た三式戦闘機二型「飛燕」(キ61-II改)。「ハ140」型エンジンや20mm機関砲2門を搭載して一型(キ61-I)よりやや大型化した機首が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 2階の展望コーナーから見下ろした「飛燕」の機首と風防。「ホ5」型20mm機関砲を搭載した機首上部には、発射口と発射用の溝も見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 右斜め後方から見た三式戦闘機二型「飛燕」。垂直尾翼の方向舵や昇降舵の羽布は張り替えられている。また天井から吊り下げられた機体は、「零戦」の試作タイプとなった十二試艦上戦闘機(A6M1)の精密な原寸模型である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「飛燕」の右側主脚と胴体下部のラジエーターが見える。同型エンジンを搭載したドイツのメッサーシュミットBf-109E型戦闘機とは主脚が外開きで異なり、こちらの方が構造的にも頑丈である。またラジエーター位置も空力的に優れた機体設計であった(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「飛燕」の横で展示される液冷式倒立V型12気筒エンジンの「ハ140」型(1250馬力)。ドイツで開発されたDB601A型(1050馬力)を川崎航空機がライセンス生産した「ハ40」型(1100馬力)を、さらにパワーアップしたものであった(吉川和篤撮影)。 拡大画像 これも同様に機体横に展示されている落下式増槽(燃料タンク)である「落下タンク二型」(容量200リットル)。群馬県伊勢崎市の農家の納屋で発見されたもので、三式戦「飛燕」を含む陸軍戦闘機で使用された。木と布を組み合せた構造で濃緑色に塗られ、中央には「木製」のシールが貼られている。戦時中は女子勤労学生が製造に動員され、館内では当時の製作風景の記録映像も見られる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」で公開される旧日本陸軍の三式戦闘機二型「飛燕」。あえて再塗装されずに工場で製造されたばかりを思わせる、ジュラルミン製の銀色のままで展示されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 終戦直後、福岡県の芦屋基地でアメリカに接収された第149振武隊所属の「飛燕」一型乙。垂直尾翼は三重県の明野飛行学校のマークだが、方向舵は前部とは異なる同部隊の菊水マークが描かれている(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 2階の展望コーナーから見下ろした「飛燕」。主翼の日の丸は塗装ではなく、赤いライトの照射で再現している。また胴体にも2分間隔のプロジェクションマッピングで赤い日の丸が再現されている(吉川和篤撮影)。 この画像の記事を読む