日米対決!?「世界一長い生産ラインのクルマ」とは? “バブル時代”ならではの珍車でしょ! 読み込み中... 拡大画像 オーテック・ザガート「ステルビオ」のベース車となった2代目日産「レパード」(画像:日産)。 拡大画像 オーテック・ザガート・ステルビオのリアビュー。あまりにも車両価格が高額だったため計画台数を満たすことができず、ザガートに残されたステルビオのコンポーネンツを使用し、スタイリングをリファインしたザガート・ガビアがのちに30台製造された(山崎 龍撮影)。 拡大画像 1953年型ナッシュ「ヒーリー」。1950年代まで北米産の自動車にはスポーツカーがなかったことから、アメリカのナッシュがイギリスのドナルドヒーリーとタッグを組んで製造した。1952年からはボディの製造をイタリアのピニンファリーナに依頼した(画像:Greg Gjerdingen CC BY-SA 2.0、via Wikimedia Commons)。 拡大画像 シェルビー 「コブラ427」。ブリストルからエンジン供給を断たれたACカーズにレーシングコントストラクターのキャロル・シェルビーが接近。同社のACエースにフォード製V8を搭載したハイパフォーマンスカーとして「コブラ」は誕生した(山崎 龍撮影)。 拡大画像 クライスラー「TCバイ・マセラティ」。リー・アイアコッカ社長(当時)の肝煎で、マセラティが製造したボディとエンジンを使用し、ルバロンGTSの基本コンポーネンツを使用して生産された高級コンバーチブル車。ただ、商業的には成功しなかった(画像:Mesatrooper CC BY-SA 3.0、via Wikimedia Commons)。 拡大画像 日産自動車栃木工場の生産ライン(画像:日産自動車)。 拡大画像 カロッツェリア・ピニンファリーナとGMのコラボで生まれた米伊合作のキャデラック「アランテ」。トリノで製造したボディをデトロイトの工場まで空輸したことからGMは「世界最長の生産ライン」を売り文句にしていた(画像:GM)。 拡大画像 日産の子会社オーテックジャパンとカロッツェリア・ザガートのコラボで生産されたオーテック・ザガート「ステルビオ」。エラのようなボンネットの張り出しは桜井眞一郎さん発案の斬新なフェンダーミラー。ただし視認性は劣悪(山崎 龍撮影)。 この画像の記事を読む