もし戦艦「大和」やめてたら? 海に消えた“国家予算の約1割”で一体なにを作れたのか 読み込み中... 拡大画像 1943年、トラック泊地にて。左が戦艦「大和」、右が「武蔵」(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 旧日本陸軍の九五式軽戦車。2022年、イギリスから里帰りした(乗りものニュース編集部撮影)。 拡大画像 1945年4月7日14時20分ごろ、「大和」は激しい空襲にあい沈没した(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 進水後の1941年9月20日、呉で艤装中の戦艦「大和」。艦後方から撮影しているため、写真の砲塔は後部の3番砲塔(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 巡洋艦改め海防艦となった「八雲」。写真は1946年3月、台湾からの引き揚げ者を乗せて広島県大竹市に到着した際のもの(画像:アメリカ国立公文書館)。 拡大画像 航空母艦「葛城」。燃料が欠乏し、出撃機会はほとんどなかった(画像:アメリカ海軍)。 拡大画像 中国人民解放軍で使用された旧日本陸軍の九七式中戦車。うち1両「功臣号」は1949年10月1日建国宣言日、パレード車輌部隊の先頭に立った(画像:中華人民共和国国防部)。 この画像の記事を読む