来ぬ特急「しらさぎ」 安堵のサーモンづくし
福井駅から東京へ帰ろうとしたところ、北陸本線で人身事故が発生して運転見合わせに。今日中に帰って明日は出社せねばならない社会人、混雑する改札、いつ来るか分からない特急「しらさぎ」。そこであるアイディアが、父から出されました。
何も知らない親子 改札前で発生していた混雑
あれは3連休最後の日、2016年10月10日(月・祝)でした。休みを地元の福井で過ごした私(蜂谷あす美:旅の文筆家)が神奈川に戻る日で、見送りの両親とともに福井駅に来ていました。北陸本線の特急「しらさぎ」、および米原から乗り換えた先の東海道新幹線「ひかり」のきっぷは、あらかじめ購入してありました。
発車まで余裕があったことから、クルマを駐車場に入れたのち、駅前のカフェ「プロント」でお茶をすることにしました。このプロントは、その年の春に開業した商業施設「ハピリン」に入居しているもので、「北陸初上陸」をうたっていました。両親にとってもプロントを利用するのは初めてのことで、「お酒や食事も充実しているなあ」と、とても喜んでいたのを覚えています。「この先を何も知らない親子は、とても和やかな時間を過ごしていました」とナレーションを入れたくなるくらい呑気なものでした。
「そろそろやな」
列車の時間が近付いてきたため、駅に向かいます。見慣れた構内で最初に気づいたのは、改札前が混雑していることでした。時刻は18時25分。
発生していた人身事故
入場券を買い求めているあいだ、「そうだよな~連休最終日だから、そりゃ混むよな~」と思いながら、見送る人、見送られる人が大勢いるようにしか見えない有人改札付近を眺めていました。
そのときです、構内にアナウンスが流れたのは。このアナウンスによって、混雑の理由が「連休最終日」などという優しいものではないことを知りました。なんと北陸本線内で人身事故が発生し、それにより運転見合わせとなっていたのです。
改札に近づけば、その旨を記したホワイトボードが掲出されていました。見送る人、見送られる人に見えたものは、運転見合わせで困っている人たちでした。ふと、手元のきっぷに目を落とします。18時37分福井発の特急「しらさぎ」はいつやってくるのだろうか、私はどうしたらよいのだろうか。
帰らないといけない… 考えられる選択肢は?
最終目的地が「米原」であるならば、「しらさぎ」の到着をいくらでも待つ選択肢があったでしょう。しかし、帰るべき場所は、米原からさらに東海道新幹線に乗り換えた先の品川。仮に遅れてやってきた「しらさぎ」に乗ることができたとしても、その先で東京行きの東海道新幹線に接続できなければ帰宅はかないません。最悪、米原で途方に暮れる可能性があります。
また、もしこれがもっと日の高い時間帯であれば、様子見するという選択肢があったでしょう。しかし、手元のきっぷで順当に進んでも、東京着は22時。かなりきわどい時間帯です。
そして重要なポイントは、私がこの当時、平日朝から晩まで働く「会社員」だったということ。学生時代なら「しゃあない、もう1泊お世話になります」と実家に留まることも可能でしたが、翌日はなんとしても出社する必要がありました。プロントで呑気にコーヒーを飲んでいるあいだに、こんなことになっていたなんて。
「神奈川に戻れないかもしれない……明日会社に行けないかもしれない」
当時まじめ(?)な会社員だった私は、背中に変な汗をかきながら、何か帰宅できる方法はないか、脳内で模索し始めました。
北陸本線運転見合わせで動けないなか 父親からの「提案」
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Writer: 蜂谷あす美(旅の文筆家)
1988年、福井県出身。慶應義塾大学商学部卒業。出版社勤務を経て現在に至る。2015年1月にJR全線完乗。鉄道と旅と牛乳を中心とした随筆、紀行文で活躍。神奈川県在住。