イタリアじゃ不遇も北欧では「傑作機」 フィアットG.50戦闘機 どうしてそうなった? 読み込み中... 拡大画像 フィンランド空軍第26飛行隊に所属したG.50戦闘機の第2生産シリーズ。FA-17号機。同空軍で換装した三角錐形状に尖ったプロペラスピナーが見える(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 1940年、スペイン市民戦争に参加したG.50戦闘機の初期生産型。この近代的な密閉式風防が前線部隊では不評で、後の量産型では開放式操縦席に改修されている(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 1941年のリビア・キレナイカの基地で、作戦終了後にワインで祝う第352飛行隊の操縦士とG50戦闘機。北アフリカでは英ハリケーンやP40戦闘機と数々の空中戦を演じたが、その戦果は他の機種と比べて大きくなかった(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 1940年、「幸運の青いスワスチカ」と呼ばれるフィンランド空軍識別章を描いたG50戦闘機FA-19号機。無線機を載せ変えてアンテナ支柱は大型になり、操縦席の前に移動している。極北の操縦士達はこの開放式風防機で、1944年夏まで戦い抜いた(吉川和篤作画)。 この画像の記事を読む