早すぎたデジタル迷彩!? 七色の61式戦車が誕生したワケを“生みの親”に聞いた 読み込み中... 拡大画像 61式戦車に7色パターンの実験迷彩を施すヒントになった記事。アメリカ軍機甲学校の機関誌「Armor」1977年11・12月号に掲載された新型デジタル迷彩の提案記事で、それをM60パットン戦車に施した想像イラスト(葛原和三氏提供)。 拡大画像 群馬県にある陸上自衛隊相馬原駐屯地に展示されている61式戦車。同車に2色迷彩が施されるようになったのは1980年代後半以降のこと。2000年に全車退役している(柘植優介撮影) 拡大画像 ペイント用ローラーで7色のブロック状パターンが、砲身までびっしりと塗られた61式戦車の実験塗装。まさに早過ぎたデジタル迷彩であった(葛原和三氏提供)。 拡大画像 ステンシル(抜き型)を使い、ホワイトとブルー、イエロー、レッド、ブラックの5色で大きな龍のマークを描いた第13戦車大隊第3中隊(当時)の61式戦車(吉川和篤作画)。 拡大画像 7色のブロック状デジタル迷彩が塗られた61式戦車。戦車教導隊(当時)第2中隊では、90-6050号と6327号、6533号、6562号の4両にこうした実験迷彩が期間限定で施された(吉川和篤作画)。 この画像の記事を読む