「B-29を撃墜せよ」調布のミニ飛行場は首都防空の要だった! 今も残る“証人”としての謎構造物 読み込み中... 拡大画像 1941年4月に竣工した東京調布飛行場正門の石造りの門柱。現在の調布飛行場に通じる道路脇に説明板と共に残されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 大沢1号掩体壕の右横に設置された説明板に記載された戦時中の調布基地の地図。グレーで表記された戦後に残された有蓋掩体壕以外にも数多くの有蓋、無蓋の掩体壕があった事がわかる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 右側を屋根ごとカットアウトされた有蓋掩体壕と「飛燕」のブロンズ像。海軍型と異なり半地下式で正面入口に壁が無く、上から見て奥に向かって狭くなる陸軍型の構造が良くわかる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 正面から見た「大沢1号掩体壕」の全景。右側に設置された説明板やその奥に三式戦闘機「飛燕」と掩体壕のブロンズ像が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 府中市に1基だけ残った「白糸台掩体壕」。左右のスロープを降りて冊越しに半地下式の内部も見学できるが、既に半分位が土砂で埋まっていて天地が狭くなっている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 高知県南国市の高知空港近くに公園として整備された旧日本海軍の掩体壕。単発エンジンの機上作業練習機「白菊」用だと思われるが、陸軍型とは異なり半地下式ではなく正面には垂直の壁があり、航空機の正面形状より大きな穴が開いていた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 調布飛行場横の公園にある、「大沢1号掩体壕」の右側に設置された三式戦闘機「飛燕」のブロンズ像。かつて帝都防空を担った陸軍航空隊があったことを物語っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 1945年3月の調布基地において、竹材をアーチ状に組んでぼろ布などで擬装した簡易な掩体壕で翼を休める、飛行第244戦隊所属の三式戦一型丁(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 入口の蓋に三式戦闘機「飛燕」のイラストが描かれた三鷹市の「大沢1号掩体壕」。2号掩体壕と比べて破損が広がっているため、内部には充填材が詰められて前後の入口は閉じられている(吉川和篤撮影)。 この画像の記事を読む