世界で2台のみ タイに残る旧軍「一〇〇式鉄道牽引車」は、魔改造で凄まじい出で立ちに 読み込み中... 拡大画像 タイの一〇〇式鉄道牽引車は、前輪部分が九七式軽貨車に換装されている。その姿からは、普通のトラックが鉄道車両用に改造されたと思われるだろう(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 後輪の4軸は全て駆動輪。鉄車輪を履いた状態だ。タイヤは紛失してしまっているが、本来は荷台部分の留め具に掛ける仕組み。タイヤと鉄車輪を交換して荷台へ固定する(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 左後方から。本来は後方の車台部にジャッキが備わって(前部にもジャッキがあった)、車体を持ち上げてタイヤと鉄車輪を交換するが、肝心のジャッキが外されたようで存在しない(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 森林鉄道の朝顔型連結器とよく似た形状の連結器は、一〇〇式鉄道牽引車竣工時の写真にも見られることから、鉄道連隊時代のオリジナルと推測する(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 鉄車輪部分を見る。ハブ部分を残して鉄車輪を外すような仕組みだったようだが、ワンタッチというような構造ではなさそうである(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 前輪と思しき部分を見る。九七式台車の上に載るだけかと思いきや、台車の取付台座と回転軸の形状にも見えてくる。鉄道車両として走らせるための改造なのだろうか(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 右側から見た編成。一〇〇式鉄道牽引車は標準時で九七式軽貨車を5両牽引できた。泰緬鉄道は客車が存在せず貨車に兵員を載せていた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 肉抜きされている運転室のステップ部分。右側は欠損しているが左側は残っている。この肉抜きされた鉄板は竣工時から変化がない(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ボンネット部分は6気筒のエンジンがうっすらと見える。内部はけっこうスカスカであった。斜めのパイプはステアリングシャフト(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 運転室部分。ハンドルは欠損し床板もなくなっているが、アクセルやブレーキ類、シフトレバー、変速機は残存していた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 右後方から見る。左右後輪の泥除も外されていて、かなり簡易的な姿となっていた(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 右サイドからのフォルム。どうしても前輪部分の改造ぶりに目がいってしまう。この状態で線路を走行したのだろうか(2018年3月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 荷台部分を覗くと床板はすでになく、後輪の駆動部分がよく見えた。奥が運転室でドライブシャフトが繋がってきているのが分かる。荷台は木材が多用されていたようだ(2013年2月、吉永陽一撮影)。 陸上自衛隊 朝霞駐屯地の輸送学校前庭に展示された「一〇〇式鉄道牽引車」(2012年2月、柘植優介撮影)。 拡大画像 朝日を浴びてリバー・クワイ・ブリッジ駅南側の広場に保存される車両群。C56 23号機の奥にグレー色を纏う一〇〇式鉄道牽引車が保存されている(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 一〇〇式鉄道牽引車が後ろに従えているのは九七式軽貨車。台車2台で1組となり、輸送目的によって上部の荷台が変更できる。これは無蓋車の状態である(2023年2月、吉永陽一撮影)。 拡大画像 運転室部分は木製である。朝霞駐屯地に保存される車両も木製で復原されている。一方タイではドアなどが欠損し、屋根も腐っている(2023年2月、吉永陽一撮影)。 この画像の記事を読む