世界で2台のみ タイに残る旧軍「一〇〇式鉄道牽引車」は、魔改造で凄まじい出で立ちに
旧日本陸軍には鉄道に特化した部隊「鉄道連隊」が存在しました。装備は装甲車から貨車まで幾多ありましたが、そのひとつに現代の軌陸車を連想させる一〇〇式鉄道牽引車も含まれていました。それは今でも、日本とタイで保存されています。
太平洋戦争開戦後は軌間1000mmへ対応
旧日本陸軍の鉄道連隊は、鉄道の敷設や運行、撤去などを行う、鉄道に特化した部隊で、明治中期に編成され、中国大陸から南方戦線まで活躍しました。演習用路線の一部が新京成電鉄となったのは、有名な話です。鉄道連隊は第一連隊から第二十連隊まで組織され、戦地を点々とする部隊もあれば、1か所に留まる部隊もありました。
そして部隊は実に様々な作戦に特化した車両を所有しました。そのうちの一〇〇式鉄道牽引車は、現代における軌陸車といえる乗りもので、ベースはトラック。6輪のタイヤを鉄車輪に交換することで、線路を走行できる牽引車両です。見た目は角ばったデザインのボンネットトラックであり、路上では後輪の4輪駆動、鉄軌道上では前輪も含めて6輪駆動となりました。
心臓部は空冷式直列6気筒、排気量7980cc、馬力90hpのディーゼルエンジン、最高速度は路上で60km/h、鉄軌道上で牽引するときは25km/h~30km/h。全長6100mm、全幅2440mm、全高2450mmは、現代の小型~中型トラックに相当する大きさといえましょう。
開発製造は、いすゞ自動車の前身である東京自動車工業(1942〈昭和17〉年にヂーゼル自動車工業へ改称)です。一〇〇式の名称は、日本独自の紀元である皇紀2600年に制式化されたことから名付けられたものです。なお、これを西暦で記すと1940年、すなわち昭和15年になります。当時対応できた軌間は、日本国内の狭軌(1067mm)と中国大陸の標準軌(1435mm)、ソ連の広軌(1524mm)でした。
1941(昭和16)年12月の太平洋戦争開戦後は東南アジアへと進出するため、南方用にメーターゲージ(1000mm)に対応する工事が施され、このタイプを一式鉄道牽引車としました。形状も性能も一〇〇式と同じです。なお現代の軌陸車とは異なり、タイヤと鉄車輪のモードチェンジは自動化されておらず、台枠に直結されたジャッキを使用してタイヤを外し、鉄車輪をはめるという「全手動」でした。
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