なぜ「日本の道路は信じがたいほどひどい」と言われちゃったのか 外国調査団が仰天したその光景 読み込み中... ワトキンスレポートに掲載された写真のひとつ。未舗装路のぬかるみからクルマを押して脱出するようなこともしばしばだったようだ(画像:国土交通省)。 拡大画像 環七通りと第二京浜が交わる東京の松原橋。1940年にできた日本初の自動車道路の立体交差(瀬戸利春撮影)。 拡大画像 コンクリート舗装。戦前にはこうしたコンクリートによる舗装も少なくなかったが、補修などの点でアスファルト舗装に取って代わられた(瀬戸利春撮影)。 拡大画像 都内のコンクリート平板舗装。大正から昭和の初めは、舗装道路の車道もこうした簡便なものが少なくなかった(瀬戸利春撮影)。 拡大画像 戦中に導入された簡易舗装による道路。本格的な舗装にくらべ低コストで、施工の手間も簡略化できることから道路舗装の普及に大きな役割を果たした(瀬戸利春撮影)。 日本初の高速道路である名神高速。尼崎~栗東間の開通はワトキンスの調査から9年後のことだった(画像:写真AC)。 拡大画像 大正時代の「道路改良のための30か年計画」で計画された神宮外苑の道路。完成は震災後で、改修はなされているがほぼ当時の姿をとどめている(瀬戸利春撮影)。 拡大画像 環七通り(手前から奥へ)と第二京浜が交わる東京の松原橋。1940年にできた日本初の自動車道路の立体交差(画像:Google earth)。 この画像の記事を読む