旧陸軍「隼」戦闘機の胴体なぜ山梨に!? 知られざる飛行場と秘密施設 幻の大本営移転とも関連アリ? 読み込み中... 拡大画像 逆側から見た「隼」三型の操縦席後部の胴体。手前の胴体は当時の機体色が塗られており、上部には風防のスライド用レールの2本の溝やメタノール供給口の円形穴が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 外板の一部を「黄緑7号」と呼ばれたオリーブドラブ色にも似た塗料で塗られた胴体上部。軍用品として使用できない様に小さな四角い穴が幾つも開けられているが、状態は良い(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じ胴体上部の内側を見る。超ジュラルミン(航空用アルミ合金)製の外板が骨組みや梁などにリベットで留められた構造がわかる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じく外板の一部を「黄緑7号」で塗られた胴体。手前の操縦席側の内部は、ラフにスプレーガンで一部が機内色(青竹色)で塗られていた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 この胴体部分の内部には、写真の「○に三」に見える幾つかの刻印らしきものも見つかっている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 南アルプス市の「ロタコ」のシンボルとも言える御勅使河原(みだいがわら)飛行場は戦後に果樹園として使われており、現在はかつて滑走路(幅100m、長さ1500m)であった場所に設けられた農道だけが往時を偲ばせている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 「ロタコ」には、航空機を隠したり爆風から守ったりする掩体壕がいくつか作られたが、現在では3基の基礎部分が残るのみ。写真は南アルプス市が土地を所有して管理する3号掩体壕跡である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じく3号掩体壕跡の横にある南アルプス市教育委員会が設置した看板。ロタコや当時の建設工事、2005年の発掘調査などについて詳しく解説されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 写真は今回の取材で新たに目にした当時建設中の木製掩体壕。第七陸軍航空技術研究所が設計を行い、これまでのコンクリート屋根の陸軍型掩体壕と同様に半地下式で、コンクリート製の基礎の上に建てられた(南アルプス市教育委員会提供)。 拡大画像 東京都府中市に残るコンクリート屋根の白糸台掩体壕。三式戦闘機「飛燕」用に作られたもので、「ロタコ」と同じく半地下式の陸軍型掩体壕である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 今回取材に協力して頂いた南アルプス市の「ふるさと文化伝承館」は縄文式土器や土偶の展示も素晴らしく、マスコットである土偶キャラ「子宝の女神ラヴィ」の着ぐるみは、映画「ゆるキャン△」にも登場している(吉川和篤撮影)。 拡大画像 毎年8月の1か月間だけ河口湖飛行館に展示される、一式戦闘機「隼」二型(キ43-II)の復元機体(吉川和篤撮影/河口湖飛行館の掲載許可済み)。 拡大画像 山梨県南アルプス市の「ふるさと文化伝承館」で保管される、旧日本陸軍の一式戦闘機「隼」三型(キ43-III)の操縦席後部の胴体上部(吉川和篤撮影)。 拡大画像 長年に渡り南アルプス市教育委員会では「ロタコ」の調査が続けられ、こうした半地下式の陸軍型掩体壕の模型も作られた。実際はこの上に木製でカマボコ状の屋根が付く(吉川和篤撮影)。 この画像の記事を読む