旧陸軍「隼」戦闘機の胴体なぜ山梨に!? 知られざる飛行場と秘密施設 幻の大本営移転とも関連アリ?
山梨県の南アルプス市に旧陸軍の一式戦闘機「隼」の胴体が残っていました。実は、この一帯には戦争中、航空機の工場群が作られており、今でも滑走路の名残りや掩体壕、横穴壕などの遺構を見ることができます。
南アルプス市に残っていた「隼」戦闘機
先日、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は、山梨県西部の南アルプス市にある「ふるさと文化伝承館」を日本軍機研究家の中村泰三氏と共に訪ね、以前から取材を希望していた同施設の資料室に残されている、とある航空機の一部を見てきました。
今回見学したものは、旧日本陸軍が運用していた一式戦闘機「隼」三型の胴体の一部です。ただ驚いたのは、それが2個もあったこと。行く前は1個だけかと思っていたので、うれしかったです。
「隼」は優れた運動性能を活かして格闘戦を得意とした戦闘機で、太平洋戦争では中国大陸や南太平洋、ビルマ戦線や本土防空戦など幅広く使用されました。各型合計で5700機以上造られ、そのなかで最終生産型といえるのが三型になります。
このタイプは、水メタノール噴射装置を装備しエンジンを強化したのが特徴で、最高速度をはじめ大幅な性能向上が図られていましたが、開発元の中島飛行機は新たに誕生した四式戦闘機「疾風」の量産に専念する必要があったことから、三型の製造は立川飛行機が担当しました。
南アルプス市に残されていた「隼」の胴体部品は、操縦席の後方上部にあたる箇所で、超ジュラルミン(アルミ合金)製。風防(キャノピー)のスライド用レールの溝や、メタノール供給口の円形穴が残っていました。さらに驚くべきことに、片方には外部や内側の一部にオリジナルの塗装も残っており、金属部分は腐食や劣化もなく新品を思わせる非常に良好な状態にありました。
軍用機の定番カラーであるオリーブドラブ(濃緑色)にも似た外板の塗料は、陸軍航空機用に制定された「黄緑7号」と呼ばれたもので、アニメ監督で日本軍機研究家でもある片渕須直氏によると、黄色と黒色の2種類の塗料だけを混ぜて作られたのだといいます。そしてその比率によって緑具合の見え方も異なるのだそうです。なお、外板の全体が塗られていない理由としては、プラモデルの製作と同様に、後で塗りにくい風防で隠れる箇所を先に塗装したからではないかと考えられます。
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