旧日本軍の戦車たちは敗戦後どうなった?「更生戦車」の行方 "はたらくクルマ”へ魔改造の数々 読み込み中... 拡大画像 北海道で発見されて静岡県御殿場市に運ばれた、九五式軽戦車を改造したブルドーザー。外部はかなり腐食して錆びもあるが、バッテリーを繋ぐとエンジンも掛かり油圧式ドーザーも可動した(吉川和篤撮影)。 拡大画像 先日イギリスからの里帰りを果たして、改造ブルドーザーと共に保管される実物の九五式軽戦車。博物館が完成した暁には、両方共に展示される予定である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 後方から見た九五式軽戦車の改造ブルドーザー。エンジンルームの左後方に油圧用のオイルタンクが置かれ、後方中央でエンジンシャフトに繋がって駆動するポンプから車体左右のパイプを伝わってオイルが循環して、車内操作でドーザーが上下する(吉川和篤撮影)。 拡大画像 少し履帯が伸びていて転輪のゴムが痛んでいるものの、九五式軽戦車からのオリジナルのままで比較的に程度良く残っている足回り。ただしブルドーザーとして運用するためのグリップ強化目的で、サスペンションは固められていた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 左右の車体側面下部には、「更生戦車」時代の名残りである排土板(ドーザー)のアームを取り付けるための穴の空いた基部が残っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 経年劣化により緩みが出ている履帯には、全て星のマークの大同製鋼(現大同特殊鋼)の刻印が入っていたが、一部には刻印の無い戦後の複製と思われる箇所(赤い矢印)も見られた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 コマツのロゴ入り油圧式ドーザーは1975年頃の後付けで、戦後すぐの更生戦車時代に排土板(ドーザー)のアームに繋がっていたワイヤーは車体の中を通っていたため、一度車体前部の左右点検扉はワイヤーを通すすき間用に短く切り詰めて溶接されていた。そして古い排土板の撤去後に似た厚みの鉄板を使って再度繋いでおり、一見ラフな仕上げだがちゃんと扉は閉まる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 同じく改造ブルドーザーの操縦席と助手席。計器板は戦後作り直されたもので、フロントガラスの下には赤く塗られて小さな穴が開けられたパイプ状のデフロスター(結露防止装置)が見えるのが北海道らしい。しかし操縦席左右の操向槓桿や変速機、シフトレバーはオリジナルのままである。また奥には操向連動機や遊星歯車も見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 戦後、オリジナルの三菱重工製A6 120VDe空冷直列6気筒ディーゼルエンジン(120馬力)に換えて搭載された、いすゞ製DA120直列6気筒水冷ディーゼルエンジン(吉川和篤撮影)。 拡大画像 1948年8月19日、東宝労働争議において東京地裁の仮処分強制執行時に警視庁から出動した九七式中戦車(チハ)改造の更生戦車。手前の警察官は戦時中の九〇式鉄帽(ヘルメット)と共に上海陸戦隊でも使用されたツバの拡がったイギリス製の試製鉄兜(一型)を被っている様にも見えて興味深い(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 北海道の(株)中山組が1949年に導入した、九七式中戦車ベースの更生戦車。オープントップの操縦席前方には、土砂の流入を防ぐためか左右ハッチ付きの板が設けられ、風雨を防ぐために社名が書かれた幌も装着している(@2010 nakayamagumi Inc.)。 拡大画像 (株)中山組が自社の機材として使用する、九七式中戦車ベースのブルドーザー。こうして見るとチハ車時代に比べて割合に高い位置に操縦席があり、一人でも操縦しながらドーザー操作が可能であった事がわかる(@2010 nakayamagumi Inc.)。 拡大画像 1959年に警視庁の観閲式で撮影された、九五式軽戦車改造の装甲車「工作車」。左側には英軍のクォード・ガントラクターに投光器を搭載した特殊車両が見える(画像:月刊PANZER編集部)。 この画像の記事を読む