『ゴジラ-1.0』の重要ロケ地「国内最大級の戦争遺構」とは? “滑走路のない航空基地”で奇跡的に残る“鳩ぽっぽ” 跡 読み込み中... 拡大画像 1938(昭和13)年から終戦までの航空隊基地の施設配置図で、水上機の訓練基地らしく霞ヶ浦の角に位置していた。また敷地内には海軍の消火栓や整地用ローラーなども点在して残っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 自動車車庫の北側にある軽油庫跡の横には、「元鹿島海軍航空隊の跡」として1999(平成11)年に設置された記念の石碑や慰霊祭用の国旗掲揚のポールなどが見られる(吉川和篤撮影)。 拡大画像 来訪者が最初に訪れる駐車場横には、水上機を移動した自動車車庫がほぼ完全な形で残されており、内部には鹿受付け事務所や売店、喫茶や軽食販売店や飲食のスペースも設置されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 本庁舎の1階は一般公開されており、再現された食堂や遺構から発見された海軍マーク入りのマンホールの蓋などの展示も見られる。筆者の見学時には、海底戦跡の水中写真展も行われていた(吉川和篤撮影)。 拡大画像 航空隊の基地施設は霞ヶ浦に逆L字の形で面しており、第一から第十格納庫が配置された。その前方に作られた湖に入る滑走台(スロープ)や船着き場、射出機(カタパルト)跡が今も残っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 旧日本海軍では「鳩ぽっぽ」の愛称で呼ばれたフライトトレーナー。操縦桿の操作で上下左右に動き上蓋を閉じると計器頼りの夜間飛行訓練も可能で、1930年代に輸入された米リンク・トレーナーC-3型だと思われる(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 天蓋を閉じて計器だけを見る盲目飛行訓練中の「鳩ぽっぽ」(地上演習機)。飛行学生は単独で特殊飛行ができる様になると、この装置で計器飛行の経験を積んでから実機での訓練に移った(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 地上演習機(フライトトレーナー)の内部。コクピットの計器盤には、実機と同様な速度計や高度計、水平儀などの各種計器が取り付けられ、操縦訓練者は無線で報告を行い、指示を得ていた(吉川和篤所蔵)。 拡大画像 ほぼ完全な形で残され自動車車庫の内部。数々の映画やドラマのロケ地でも使用され、映画『ゴジラ-1.0』では戦闘機「震電」の格納庫として再現されている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 気缶場跡の手前には、地上演習場が在った事を示す基礎が見える。その中に複数残るコンクリート製の円柱は、海軍が使用したフライトトレーナー(シュミレーター)の基部である(鹿島海軍航空隊跡提供)。 拡大画像 敷地の奥には高い煙突が付属した施設が残っており、これは基地内において暖房や給湯を一手に行った気缶場(ボイラー室)である。中には1939(昭和14)年、東京・月島の安藤鉄工所製造刻印のボイラー窯が見える(吉川和篤撮影)。 拡大画像 気缶場跡の奥には自力発電所の建物も残っている。戦後も使用されていたが、電線を巻く碍子(がいし)には1938(昭和13)年の基地開設年の数字も見られた。屋根が落ちて植物も生えて、廃虚マニアも惹かれる風情である(吉川和篤撮影)。 拡大画像 射出機に搭載された九五式水上偵察機で零式三座水上偵察機の当時写真も残されている。角地に設置されており、アームは90度以上回転して各方位に射出可能であった(鹿島海軍航空隊跡提供)。 拡大画像 鹿島海軍航空隊の司令部があった本庁舎。戦前・戦中様式の縦長窓のある鉄筋コンクリート製の3階建ての建物で、ツタに覆われていてもしっかりと残っている(吉川和篤撮影)。 拡大画像 リンク・トレーナーの特許を取得する際に提出された構造図。操縦桿の操作で上下左右に動く、現在と同様なシステムであったことがわかる(吉川和篤所蔵)。 テーマ特集「『ゴジラ』登場兵器総まとめ! 旧軍戦闘機から自衛隊の戦車まで」へ この画像の記事を読む