低い・狭い・後席は壊滅的 「実用性ないクルマが1台くらいあっても」で生まれたセダンの顛末
「カリーナED」の商業的な成功により昭和末期から平成初期にかけて一大ブームとなったのが背の低い4ドアHT車です。そのブーム末期に登場したクラス最小の4ドアHTモデルは、流麗なスタイリングと引き換えに居住性能は劣悪なものでした。
昭和末期から平成初期はクルマの高さは低ければ低いほど良かった
いまから35年ほど前、昭和末期から平成初期にかけての時代は「4ドアHT(ハードトップ)にあらずんばクルマにあらず」とばかりに、背が低く、サッシュレスドアを採用した4ドア車が人気を集めていました。

令和の現代、SUVやミニバン、軽ハイトワゴンが全盛の日本の自動車市場を鑑みると、にわかに信じられないかもしれませんが、国内各メーカーに4ドアHTの車種がラインナップされており、それこそトヨタを例に挙げると、上はクラウンから下はカローラまで、ほぼすべてのセダン型乗用車にHTモデルが設定されていました。
そのようなHTブームの末期に登場したのが、トヨタの「カローラセレス」「スプリンターマリノ」です。両者は販売チャンネル(取り扱いディーラー)の違いによって、違う名称が与えられていたものの、中身は一緒で兄弟車というべき間柄でした。しかし、ブームに乗り切れず販売は低迷、商業的には厳しい結果で終わりました。いったい何が原因だったのでしょうか。
そもそもHTというボディ形式は、全長5mを超える巨大なアメリカ車が起源です。端緒は1949年型キャデラック「クーペ・ドゥビル」で、このモデルで人気を博したことからフォードやクライスラーもあとを追い、1950~1970年代のアメリカ製2ドア車/4ドア車で大流行しました。
このブームにアメリカ車を手本にしていた日本車が追随して、国内市場においても1960年代からポツポツと登場し始めます。その後、出元のアメリカでは1970年代に保安基準の引き上げによって人気が下火になるものの、日本では流行し続けました。
この頃の国産HT車は、同じラインナップのセダンと比べ、数十mmルーフが低いだけでした。しかし、転機は1985年に訪れます。トヨタが思いっきり全高を下げた5ナンバーサイズの「カリーナED」をデビューさせたのです。
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