「東京から特急が走る盲腸線」またも危機? 水没からの「議論の申し入れ」に揺れる路線の今と昔 読み込み中... 拡大画像 全長7.2mの極小トンネルと撮影者たち。極小トンネルが誕生したのは、「強固な岩盤があるゆえに工期短縮となる」「山肌の一本松を守るため」「落石覆いの代わりとなる」など様々な理由があった(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 渇水時、「八ッ場湖の駅丸岩」からは八ッ場ダムのダムサイトや不動大橋と共に、水没した吾妻線のトンネル群が望める(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 川原湯温泉は源 頼朝が発見した湯と言い伝えがある。共同浴場「王湯」には頼朝にちなんで笹竜胆の家紋が掲げられていた(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 ダムに沈む前の川原湯温泉街。ひなびた佇まいの街にサルビアが彩を与えていた(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 川原湯温泉駅の木造駅舎に掲げられていた温泉街の地図。このほとんどが水没した(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 川原湯温泉駅の跨線橋から。現在は背後の山の稜線あたりまで水没している。駅舎は解体された(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 共同浴場「王湯」は移転となり、このときはすでに建物だけが残って静まり返っていた(2014年9月18日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 川原湯温泉~長野原草津口間に架かるワーレントラス橋は、水没を前にして塗装もされずに赤錆が目立ち、くたびれている様子だった(2014年9月18日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 長野原草津口駅の東側。手前が留置線となった旧線のエンド部分、奥の大仰な複合アーチ橋「第三吾妻川橋梁」が新線(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 渓谷美の吾妻峡と第三吾妻川橋梁を渡る115系。手前は国道145号の千歳新橋。これら2橋はいま、水底である。背後は不動大橋(2014年9月18日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 岩島駅の北側で寸断された旧線は写真左手で再び現れる。「吾妻狭レールバイク アガッタン」の施設として生まれ変わったのだ(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 吾妻渓谷入口駐車場付近から残る旧線は、「吾妻峡レールバイクアガッタン」の施設となっているが、ここはまだ営業していない(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 岩島駅北側の旧線と新線の分岐箇所。旧線はワンボックスカー付近から手前へ延びていた。新線を211系が快走していった(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 八ッ場大橋の歩道から眺めた八ッ場ダム。旧線は濃緑色の湖底へ沈んでいる。ちょうど写真中央から右へ線路があった(2024年7月17日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 終点の大前駅。2004年訪問時は傍らに道祖神が祀ってあった(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 大前駅の先でプツっと途切れる線路。この先は信越本線(現・しなの鉄道)豊野駅まで延伸計画があったものの計画は中止となった(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 上下列車と交換する大前行き。川原湯温泉駅の改札口にはホーロー看板が残り、湘南電車との好対照であった(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 築70年は経過していた川原湯温泉駅の駅舎。背後は八ッ場大橋の堂々たる姿(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。 拡大画像 大前駅は1面1線のシンプルな構造。中間駅のような雰囲気であり、無人駅となっている(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。 この画像の記事を読む