「東京から特急が走る盲腸線」またも危機? 水没からの「議論の申し入れ」に揺れる路線の今と昔

JR東日本は吾妻線の一部区間について、今後を協議したい旨を沿線自治体へ申し入れています。近年ではダム建設に際し一部旧線が水没するなど話題になりましたが、さらなる課題が突き付けられている形です。

太子駅への分岐線はとうに廃止

 JR吾妻線は、終点でほかの路線と接続していない“盲腸線”といわれる路線です。JR上越線の渋川駅(群馬県渋川市)を起点にして吾妻川沿いに西へと進み、大前駅(同・嬬恋村)までの55.3kmを結ぶ単線電化路線で、上野駅から途中駅の長野原草津口駅(同・長野原町)まで特急列車「草津・四万」が毎日運転されています。
 
 しかし2024年3月22日、JR東日本の高崎支社は沿線自治体の群馬県、長野原町、嬬恋村へ対し、存廃の前提を置かないかたちで、長野原草津口~大前間について「沿線地域の総合的な交通体系に関する議論の申し入れ」を行いました。今後どうなるか、動向からは目を離せません。

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上下列車と交換する大前行き。川原湯温泉駅の改札口にはホーロー看板が残り、湘南電車との好対照であった(2014年9月9日、吉永陽一撮影)。

 そもそも開業したのは太平洋戦争末期の1945(昭和20)年1月。渋川~長野原(現・長野原草津口)間ならびに長野原~太子(おおし)間からなる「長野原線」が始まりで、群馬鉄山で採掘された鉄鉱石の軍需輸送が目的の貨物専用線でした。終戦直後には旅客化され、日本鉄道建設公団が長野原駅から大前駅まで建設し、1971(昭和46)年に延伸開業しました。

 一方の長野原~太子間は、延伸する本線から分岐する形状となりましたが、すでに群馬鉄山も閉山されて貨物輸送も終了しており、大前駅延伸と引き換えるように廃止となりました。

 吾妻線は草津温泉に近い立地から観光輸送の役目もあり、1982(昭和57)年から特急や新特急が走るようになります。しかし大きな転機が訪れたのは2014(平成26)年9月のことでした。八ッ場(やんば)ダム建設によって岩島~長野原草津口間が新線へと切り替えられたのです。

 2019年、竣工した八ッ場ダムは試験的に水を貯めて安全性を確認する「湛水」(たんすい)を実施。このとき吾妻線の旧線跡は水没しました。ちょうど試験湛水中に台風19号が襲い、一気に満水という不測の事態となってしまいましたが、試験湛水は無事に終了し、ダムとして平常に運用され、人造湖「八ッ場あがつま湖」が誕生しました。

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