ダイハツのフラッグシップだ!「渾身の力作」が登場直後に大ゴケした真相 “鳴かず飛ばず” でも販売10年以上なぜ? 読み込み中... 拡大画像 筆者が新車スクープ誌の編集部に在籍していたときに先輩から聞いた話なのだが、ダイハツ広報部は発売直前の「アプローズ」の話題作りのため、公道テストの場所と日時をリークし、取材を依頼してきたそうだ。その情報通り、人里離れた山奥でダイハツの実験部隊がテストを行っていた。先輩らはその様子をすかさず激写し、「アプローズ」のスクープ記事が翌号の巻頭を飾った。もっとも、現場の社員たちには広報部から話が伝わっておらず、彼らは鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべていたそうだが……。ダイハツはそのような涙ぐましい努力をしてまで「アプローズ」を成功させたかったのだろう(画像:ダイハツ)。 拡大画像 1990年10月の一部改良でダイハツは悪評を払拭するために「アプローズθ(シータ)」に改名するが、1992年7月のマイナーチェンジで再び名称を「アプローズ」に戻した。その際にラジエターグリルや前後バンパーの意匠変更、全車インジェクション化が図られた。写真はマイナーチェンジ後の中期型(画像:ダイハツ)。 拡大画像 1997年9月の2度目のマイナーチェンジで「アプローズ」は内外装に大幅に手を入れ、フェイスリフトによりメッキグリルが追加され、インテリアも刷新された。だが、この変更で上品かつ美しかったスタイリングは損なわれてしまった(画像:ダイハツ)。 拡大画像 ダイハツ「アプローズ」はヨーロッパにも輸出され、その完成度から高い評価を得た。彼地では「アプローズ」用のカスタムパーツも販売され、ベルギーのEBS(エルンスト・ベルク・スタイリング)社が販売した純正の「スーパーリッド」を交換してステーションワゴンに変身させるキットは人気商品となった。また、ドイツのチューナーであるエッティンガーでは、最高出力を120psから180psへとパワーアップする写真のターボキットを開発。こちらは残念ながら市販化はされなかった(画像:ダイハツ)。 拡大画像 ダイハツ初の市販乗用車「コンパーノ」。写真はセダンボディの「コンパーノ・ベルリーナ」。スタイリングはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレが担当した(画像:ダイハツ)。 拡大画像 1977年に誕生した初代「シャレード」はダイハツが久々に自社開発した小型乗用車だった。同社が「5平米カー」と称した軽量・コンパクトな車体設計、まだまだ日本車では珍しかった前輪駆動の採用、1リッター4ストローク直列3気筒エンジンの搭載、合理的で美しいスタイリングなど、ダイハツらしい都会的で先進性のあるクルマ作りが特徴だった(画像:ダイハツ)。 拡大画像 1990年5月に登場したダイハツ「アプローズ」の特別仕様車「QR-90」。日本初となる周波数感応式ショックアブソーバーが奢られたモデルだ。「(画像:ダイハツ)。 拡大画像 1989年のデビュー間もない時期のダイハツ「アプローズ」(画像:ダイハツ)。 この画像の記事を読む