ダイハツのフラッグシップだ!「渾身の力作」が登場直後に大ゴケした真相 “鳴かず飛ばず” でも販売10年以上なぜ?
バブル絶頂期に販売された乗用車「アプローズ」は、実用性に優れ、完成度こそ高かったものの設計ミスから車両火災を起こし、大手新聞が叩いたことから命運を絶たれました。「ダイハツ渾身の力作」のあまりに気の毒な末路を振り返ります。
日本最古の自動車メーカーは小型車でも優れた開発ノウハウあり
バブル絶頂期の1989年にダイハツが世に送り出した「アプローズ」は、時代に逆らうようにシンプルでクリーンな実用車でした。ただ、完成度こそ高かったものの、デビュー間もない時期に設計ミスから車両火災を起こし、それを大手新聞が叩いたことで命運を絶たれました。ダイハツ渾身の力作の、あまりに気の毒な末路を振り返ってみましょう。

そもそもダイハツは、現存する国内の自動車メーカーでは最古の歴史を持っています。歩み出しは発動機製造会社でしたが、1930年にエンジンまで国産化したオート三輪「HA型ダイハツ号」を発売し、エンジンメーカーから自動車メーカーへと脱皮。太平洋戦争後の1951年に現在の社名であるダイハツ工業へと改名し、1963年には同社初の四輪乗用車「コンパーノ」を発売します。
ただ、1960年代の自動車業界再編の波に乗って1967年にトヨタグループと提携関係を結ぶと、徐々にトヨタの子会社としての色彩を強め、1980年代以降は軽自動車の分野で存在感を示すようになりました。
しかし、ダイハツは小型車の開発を諦めたわけではなく、トヨタ「パブリカ」ベースの「コンソルテ」や、「カローラ」ベースの「シャルマン」を製造しながら、小型乗用車を自社開発するチャンスを伺っていました。
果たせるかな、1977年にダイハツが独自開発した「シャレード」は、当時の国産車で唯一のリッターカーであり、振動の問題から国内自動車メーカーが敬遠してきた4ストローク直列3気筒エンジンを搭載。価格は軽自動車並みに抑えつつ、軽量小型な設計も相まって優れた動力性能と低燃費を実現しますが、そのことが専門家から高く評価されて1978年度の「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞しています。
そのようなダイハツが「シャレード」よりも1クラス上の市場を狙って開発したのが、1989年7月に登場した「アプローズ」です。英語で「喝采」という意味を持つこのクルマは、日本中が好景気に浮かれていたバブル期のデビューにもかかわらず、真面目で実直なダイハツらしくボディサイズは5ナンバー枠をキープしながら、ダイハツの持てる当時の技術を惜しみなく注ぎ込んだ渾身の力作でした。
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