【懐かしの私鉄写真】2軸客車が現役だったころの銚子電鉄

NHK連続テレビ小説のロケ地ともなった銚子電鉄(銚子電気鉄道)ですが、放映から10年以上前、出張にあわせて訪問しました。外川駅から仲ノ町駅へ向かい、車庫を見学しましたが、そこには2軸客車の姿がありました。

この記事の目次

・初めての訪問は出張にあわせて
・警笛はタイフォンではなく漁船の汽笛
・仲ノ町で車庫見学
【画像枚数】全13枚

初めての訪問は出張にあわせて

 いつ廃止になってもおかしくない状況にありながら、捨て身のアイディア商法でなんとか運行を維持している銚子電鉄(銚子電気鉄道)。私が最初に訪れたのは1972(昭和47)年の11月でした。

 茨城県の鹿島神宮などへ2日がかりで出張の際、せっかくだから銚子電鉄に乗ってみようと思い、少し回り道をして外川(とがわ)に宿をとりました。もちろんまともなホテルなどはなく、泊まったのは主に釣り人が利用する民宿です。宿に着いたのは暗くなってからなので、銚子から外川までの沿線風景や、乗った車両についての記憶はまったくありません。

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線路の終端付近から見た外川駅。架線がかなり垂れ下がっている。ポイントは電動式になっているようだ(1972年11月、楠居利彦撮影)。

警笛はタイフォンではなく漁船の汽笛

 翌朝、本来の仕事に差し障らないよう、午前7時すぎに宿を出て、外川駅に向かいます。ホームで待っていると、時々、「ボッ、ボッ」と漁船の汽笛が聞こえます。朝から漁に出るのかなと聞き流しているうち、線路の向こうに電車の姿が見えてきました。銚子電鉄で一番小型のデハ101です。駅に近づき、踏切に差し掛かったところで鳴らした警笛は、なんとタイフォンではなく、漁船の汽笛でした。恐らく故障したタイフォンの補充として、場所がら入手が容易な漁船のパーツを使ったのでしょう。

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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