【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第3回「弾丸列車計画が新幹線に与えた影響」

東海道新幹線開業50周年を記念し、どのようにして新幹線が計画され、開業に至ったのかを振り返ります。第3回は「弾丸列車計画が新幹線に与えた影響」です。

未完成に終わった弾丸列車計画

 弾丸列車計画は、昭和15年(1940年)から用地買収が開始され、一部区間も着工されましたが、昭和16年(1941年)に開戦した太平洋戦争の戦局が悪化していった結果、1943年(昭和18年)に建設が中断されてしまいました。

 設計された専用の車両も製造されることはなく、半ば強制的に進められた用地買収こそ、東海道区間は全体の1/4程度が完了していましたが、着工されていた工事は中途での頓挫を余儀なくされました。

 そして昭和20年(1945年)8月14日、日本は終戦を迎え、弾丸列車計画は未完成のまま一度終焉を迎えたのです。

来宮から見る丹那トンネル(中央)と新丹那トンネル(右端)

 着工はしたものの、そのほとんどの工事が中途で止まってしまった弾丸列車計画ですが、静岡県の花沢山を通る日本坂トンネルに関しては工事が継続され、昭和19年(1944年)に完成、戦後は東海道本線のトンネルとして昭和37年(1962年)まで活用されました。また同じく静岡県の熱海~函南を結ぶ予定だった新丹那トンネルに関しても、熱海口、函南口からそれぞれ数百メートルが掘り進められていました。

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