【今日は何の日?】「三河島事故」発生
東京都荒川区の常磐線三河島駅構内で貨物列車が脱線し、そこに旅客列車が多重衝突する「三河島事故」が起きました。
1962(昭和37)年の5月3日。東京都荒川区の常磐線三河島駅構内で貨物列車が脱線し、そこに旅客列車が多重衝突する「三河島事故」が起きました。
最初に貨物列車と衝突し脱線した下り列車からは、乗客が避難している最中でした。そこへ今度は上り列車が進入し、多くの人をはねながら下り列車に激突。結果として160人もの死者が発生する大惨事となりました。事故は「国鉄戦後五大事故」のひとつとされています。これを教訓にATS(自動列車停止装置)の整備、周囲の列車に異常発生を知らせ二次事故を防止する列車防護無線装置の開発などが進展しました。
【了】
かつてこの一帯は駅名と共に、住所も三河島1~9丁目だったようですが、住居表示が行われた時に東日暮里などに改称されて、三河島という地名は消されてしまいました。よほど大事故で悪いイメージが残ったのを忌避するような動きがあったのでしょうか?
住居表示実施の際に忌避された可能性はありますが、もし住居表示がなければそのままだったでしょうね。
「事件・事故が起きたから縁起悪いので地名変えます!」なんてことがまかり通ったら、あちこちで地名変更だらけになり余計混乱するかと。
本当にこういう事故は、起きてからどうこうじゃなくて、起きる前に対策を立てて絶対に起こさないようにしていただきたい。昔だから仕方がないで済ましてほしくない。今現在も未来から見ての昔で済ましてもらいたくない。
敗戦後6年:桜木町事故
敗戦後9年:洞爺丸事故
敗戦後10年:紫雲丸事故
敗戦後17年:三河島事故
敗戦後18年:鶴見事故
敗戦後60年:福知山線脱線事故
かつて、今で言うゴールデンウィークとその前後には乗りものの大きな事件が何度かあったのですね…
もし反対側の列車に目の前で転覆されたらいくら防護無線を鳴らしても間に合いませんね。内原みたいに(本来の理由は違いますが)上下線の間隔をあけて作る、ということはしませんでしたね。
このあたりは他にも下山事件があったりと、国鉄にすればまさに鬼門だったのですかね?