【懐かしの国鉄写真】初めて使ったポジカラーフィルム 2ヶ月かけて撮影した写真から

いまではデジタル写真が主流となっていますが、それ以前はフィルム写真でした。そのなかでもプロが使うポジフィルムは高価で、なかなか手を出すことができませんでしたが、50年以上前に初めてポジカラーフィルムで撮影しました。

貴重なフィルムは2ヶ月ほどかけて20枚撮り2本を撮りきる

 日本でカラーフィルムが普及し始めたのは1960年代中頃くらい、ちょうど私が大学生になった頃からです。主にネガカラーで、朝9時までにフィルムを持ち込めば夕方5時にカラープリントができあがるようになりました。値段はサービス判が1枚70円くらい。電車の初乗りが10~20円だったからかなり高価で、まず現像されたネガを見てからプリントを頼むコマを決めるという状態でした。

Large 200420 posi 01

拡大画像

ポジカラーの1枚目は地元の中央線高円寺。冬晴れで秩父の山並みが見えている。101系は運行番号が01Aなので三鷹電車区の車両。当時はまだ豊田電車区がなく、三鷹のほかに中野と武蔵小金井の電車区が快速を担当していた(1966年12月1日、楠居利彦撮影)。

 ポジカラーはプロが使う特殊なフィルムであり、コダックやアンスコなどの外国製が幅を利かせていました。プロ御用達のコダクロームは感度がASA(現在のISOとほぼ同じ)25と低く、現像はアメリカに送るため、戻って来るまでに1ヶ月くらいの日数がかかりました。

Large 200420 posi 02

拡大画像

鉄道雑誌の撮影地ガイドを頼りに、三島から線路沿いを函南に向かって歩いた。ここは有名な竹倉温泉の付近で、右奥に新幹線の線路が見える(1966年12月4日、楠居利彦撮影)。

 国産のポジカラーはフジとサクラの2銘柄がありました。サクラカラーは小西六写真工業の製品で、後にカメラのブランド名と統一されてコニカカラーとなります。感度はASA50で、これがASA100へのモデルチェンジを控えてヨドバシカメラで安売りが始まり、やっと貧乏学生も手が出せるようになったのです。

Large 200420 posi 03

拡大画像

修善寺発の急行で列車名は不明。5連の付属編成だがサロ153が組込まれている(1966年12月4日、楠居利彦撮影)。

残り495文字

この続きは有料会員登録をすると読むことができます。

2週間無料で登録する

Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

最新記事