利根川に残るレトロ渡し船に乗ってみた 「県道」だから無料 戦国時代からの重要路線

歴史は戦国時代から

 赤岩の渡しの歴史は古く、戦国時代の上杉謙信の文献に武士団の輸送路として登場します。江戸時代には、この付近の水深が深いことを利用し、利根川の水運の船着き場として栄えるようになります。明治期には富岡製糸場で生産された生糸を横浜へ運ぶ船の発着場にもなりました。

 その後、鉄道が普及したことで水運の地位は低下するものの、桐生で生産された絹織物などが赤岩の渡し船を経由し、熊谷駅から貨物列車で東京へ輸送されることもありました。

やはり橋が求められている

 利根川に架かる橋はこの地域には少なく、国道407号から利根大堰まで10kmも離れているため、中間に位置する赤岩渡船付近への架橋を望む声がありました。しかし、川幅が広いため大規模な橋梁になることや、隣接するグライダー場により航空法上の建築物の高さ制限が設けられているなど課題が多く、実現には高い壁があります。

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新たな橋の建設を求める市民の会の立て看板(乗りものニュース編集部撮影)。

 現在、群馬、埼玉、栃木県内の計10市町で利根川新橋建設促進期成同盟会が結成され、県や国への要望活動が続けられています。また利根川では国による堤防強化事業が順次進められていることもあり、堤防工事と一体で建設を進められることを期待した調整も進められているようです。

もうひとつの渡船は運休中

 ちなみに、赤岩渡船の20kmほど上流には、伊勢崎市が運営する「島村渡船」があります。これは伊勢崎市の境島村地区が利根川によって分断され、南側が埼玉県本庄市の「飛び地」のようになっていることから、市民の市内移動の手段として運行されているもので、こちらは市道の一部という位置づけになっています。

 この島村渡船は2019年10月の台風19号で乗船場などが被害をうけ、2021年3月現在も運休中です。過去にも洪水の影響で幾度となく運休となっていることもあり、存続が問われている状況です。

【了】

【路線図】「黄色い旗」で呼び出して乗船 一部始終

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