「ジャンボ機」はなぜ半世紀も売れ続けた? 「ボツになった輸送機案」→鮮やかな大逆転の経緯

半世紀以上、製造されてきたボーイング社のロングセラー機「747」は、実は“ボツ案“から大逆転を収め、スターダムへのし上がった旅客機です。その経緯はどのようなものなのでしょうか。

のちのC-5「ギャラクシー」設計案で敗れる

「ジャンボ・ジェット」の愛称で、1970年にアメリカのパン・アメリカン航空(パンナム)で就航してから、半世紀以上にわたり製造されてきたボーイング747シリーズ。2022年12月6日、その最終号機が完成公開(ロールアウト)しました。半世紀以上にもわたった巨人機の歴史が、幕を閉じたというわけです。

 累計1574機も製造され、「空の女王」と呼ばれるほどの傑作機として知られる747ですが、実はこの誕生経緯は「“ボツ案“から大逆転を収め、スターダムへのし上がった」と、まとめることができます。

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ボーイング747の最終号機(画像:ボーイング)。

 その発端は、アメリカ空軍で1960年代から始まった、巨大戦略輸送機の開発にまで、遡ります。同軍では当時、「CX-HLS」という新型輸送機の開発を進めており、アメリカの航空機メーカーに設計案を募り、そのなかから、コンペを実施しました。この設計には、ボーイング社、ダグラス社、ジェネラル・ダイナミクス社、マーチン社、そしてロッキード社が参加。結果的にはロッキード社の設計案が採用され、これはのちのC-5「ギャラクシー」になりました。

 CX-HLS計画に落選したボーイング社は、この設計案をベースに、当時の長距離向け主力商品であったジェット旅客機「707」の倍以上の収容力をもつ旅客機の構想を、パンナムに提案。この巨大機は、1966年に同社から受注を獲得しました。これが747です。

 ただ、このときは747が将来、高いニーズを持つとは、ほとんど見込まれていませんでした。というのも、その時代「コンコルド」に代表されるような超音速旅客機が旅客輸送の中心となると考えられており、ボーイング社もその設計に注力していたのです。

 747の場合は、そもそも大型輸送機の開発案がベースの旅客機です。747の最大の特長となる機体前方がコブのようになった「アッパー・デッキ」はこの名残りで、CX-HLS計画で、機首から大型の貨物を積み込めるような設計が求められていたことから、コクピットを1階ではなく、「アッパーデッキ」を最前方に配置する形態が採用されました。そして超音速旅客機が主力になったあかつきには、747は貨物機として運用されるプランだったのです。

【写真】「最後の747」をいろんな角度から&幻となった「ボーイングの超音速旅客機」

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コメント

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1件のコメント

  1. 新型大型輸送機は
    ロッキードが採用され「C-5」となった

    ボツになったボーイング案に
    パンナムの会長が乗って
    当時最大の旅客機
    747となった
    輸送機案だったので
    コックピットが2階にある