成田空港「神経細胞みたいな元祖旅客ターミナル」どう誕生? 最初は「同じ形3つ」…でも実現せず その経緯

成田空港は開港時、現第1ターミナルの一つのみで、「ハ」字型の角から突き出した「フィンガー」の先に、円形の乗降施設がある姿をしていました。どのような経緯で現在の形になったのでしょうか。

「ハ」の字型で、4か所の角にフィンガーが

 成田空港では2023年現在、旅客ターミナルビルのひとつにする「ワンターミナル構想」が打ち出されています。もともと45年前の開港時、同空港のターミナルビルは現第1ターミナルのひとつのみ。そして、このターミナルは上空から見ると、かなり特徴的な姿をしていました。

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成田空港(乗りものニュース編集部撮影)。

 1978年5月20日の開港時、成田空港の現・第1ターミナルは六角形を半分にしたような「ハ」の字型をし、4か所の角から突き出した「フィンガー」と呼ばれる通路の先に、サテライトと呼ばれる円形の乗降施設が配置されていました。ひとつのサテライトに複数の乗降口が配置され、それに向かって飛行機が駐機している様子は、航空写真で見ると風車のような、神経細胞のような…そんな感じでした。

 民間空港のターミナルビルの形は幾つか種類があり、戦後日本の航空が再開した翌年の1953年には、ビルから突き出した通路の両側で旅客が乗降するフィンガー式などが既に知られていました。

 それから10年以上を経て1966年7月の閣議で成田空港の建設場所が決まり、その2年後に出版された子供向けの空港読本では、もう「ハ」の字型をした3棟のターミナルビルを描いた完成予想図が掲載されています。つまり、成田空港のターミナルビルは早くから、「ハ」の字型に円形サテライトを付けた姿と決まっていたのです。

 さらに、この第1ターミナルと同じ形状のターミナルビルを3つ作る計画もあったといえるでしょう。たしかにこの形だと、内側に駐車場を抱え込め空港外からの接続も便利であるなど、多数のメリットが考えられます。

 しかし「第1ターミナルと同じ形状のビルを3つ作る」計画は、現実にはうまくいきませんでした。激しい空港反対闘争により、開港はA滑走路に面した東側半分の1期地区使用しかできなかったことで、ターミナルビルを1棟建てるのが精いっぱいだったのです。

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