【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第12回「試験走行」

東海道新幹線開業50年を目前とした今、乗りものニュースではどのようにして新幹線が計画され、開業に至ったのかを振り返ります。第12回は「試験走行」です。

主に行われた試験走行

 昭和37年(1962年)6月から、神奈川県の鴨宮モデル線区で試験運転が開始されました。

 200km/h以上で恒常的に走る鉄道が世界中のどこにも存在しなかった当時、モデル線区で行われた試験内容は軌道狂い量の保守、複数のパンタグラフによる架線の振動、超高速域からの制動試験、ATC(自動列車制御装置)の動作試験、車内空気圧の変動、高速域での蛇行動抑制、台車軸箱支持装置の性能比較、トンネル進入時の風圧測定など、限られた時間の中で数え切れないほど多岐にわたりました。

 試験を行う内に、事前には予測できなかった事象も現れてきました。「耳ツン」現象は、その代表的なものです。高速で車両がトンネルへ突入すると、耳に痛みなどの不快感を覚える現象が続出しました。これは、車両の室内外で気圧が急激に変動することにより、鼓膜が外側へ引っ張られて起こる現象です。

新幹線の乗降用ドアは、閉じると外側へ押さえつけられ、気密性を保つしくみになっている(写真はE3系)。

 試験車両の1000形は、従来の鉄道車両より気密性を高めた構造で作られていましたが、時速200km/hの世界は想像を上回っており、さらに気密性を高める方策が考えられました。そこで、空気の入れ換えを行う換気口を、トンネルの区間のみ閉じてしまう機構を採り入れました。これにより、客室内の気密性は高まって「耳ツン」現象はほぼなくなりました。

 しかし気圧の問題は、開業後また他の場面で登場してくることになります。

256km/h達成!

 様々な試験が行われた、2年半に及ぶ試験走行。その中核となったのは、高速走行試験です。新幹線計画が動き出す前から、国鉄は電車による高速試験を繰り返し行っていました。

 小田急3000形SE車を借り入れ、東海道本線上にて145km/hを記録したのを皮切りに、その後「こだま型」151系が昭和34年(1959年)に、東海道本線藤枝付近で163km/hの狭軌世界記録をマーク。翌年には、高速走行用に改造された架線試験車クモヤ93形が、同じく藤枝付近にて、175km/hという当時の狭軌世界記録を更新しました。

 速度向上における土壌は、こうして少しずつ醸成されていました。モデル線区を走る1000形は、当初70km/h程度の速度から走行試験を開始、徐々に速度を上げていき、昭和37年(1962年)10月に時速200km/hを達成します。

 そして開業を翌年に控えた昭和38年(1963年)3月30日、遂に1000形B編成が、当時世界最高の256km/hを記録するに至りました。

【第13回:新幹線開業に続く】

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