【日本の高速鉄道 その誕生と歴史】第14回「開業後に起こった様々な問題」

東海道新幹線開業50年を目前とした今、乗りものニュースではどのようにして新幹線が計画され、開業に至ったのかを振り返ります。第14回は「開業後に起こった様々な問題」です。

好調な滑り出し

 3800億円という巨額の費用を掛けて完成にこぎ着けた東海道新幹線は、開業日の1日だけで3万6128人を運びました。開業翌年の昭和40年(1965年)3月には、輸送人員が累計1000万人を超えました。開業から1年後に行われたダイヤ改正では、路盤の安定が確認されたため、当初の目的となっていた東京~新大阪間3時間10分運転を行うことになりました。好調な滑り出しと言えます。

いくつもの問題点

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天下に大きな影響を与え、現在もその駅に両軍の武将たちが掲示されている関ヶ原。新幹線の運命にも、その雪が大きな影響を与えた。

 しかし、その裏側では開業前に想定していなかったいくつかの問題が噴出し、現場はその対応に追われました。

 「雪害」はその1つで、冬季、関ヶ原付近に多く見られる降雪が、新幹線以前の鉄道現場では考えられなかったような影響を与えました。

 200km/hを超える速度で走る新幹線では、列車風により雪が巻き上げられて床下機器に付着・氷結し、樹氷のように成長していくのです。それが降雪地帯を抜けたところで融解・落下し、氷の塊となって対向列車の窓ガラスを割ったり、床下機器や車体を傷つけてしまう事象が頻発したのです。

 これは、温暖な地域に作られた鴨宮モデル線区では経験できなかったことのひとつであり、後年に至るまで東海道新幹線のウィークポイントになっています。対応策として、名古屋駅で床下機器に張り付いた氷をたたき落とす作業を行ったり、関ヶ原付近にスプリンクラーを設けて、線路上の雪を溶かすようにしています。このことは後年、東北・上越新幹線建設の際に、大きな経験となって生きています。

 また「黄害」もありました。鴨宮モデル線区で試験走行を行った際、問題となったのが「耳ツン」現象で、0系量産車はその対応を行い、車内の気密性を高めた構造になりました。しかし気密性が高められたのは客室部分だけで、出入口のあるデッキ部分は外気と繋がっていました。

 そのため、デッキにある便所も同様に外気と繋がっており、トンネル内でのすれ違い時など、急激な気圧変動があると、床下に溜めてある汚物タンクの中身が便器から逆流し、吹き上げてしまうという現象が発生。これも即座に対応が取られ、デッキ部もすべて気密構造とする改造が急ピッチで行われました。

安全性の向上

 上記の例に限ったことではなく、開業から数年間、大小問わずいくつもの不具合が頻発し、その中には車軸が折れるという重大事故もありました。それらをひとつずつ丁寧に診断し、対策を練って対応を繰り返していくことで、不具合は急速に減っていきます。安全な新幹線は、こうして少しずつ作り上げられていきました。

【第14回:開業後に起こった様々な問題に続く】

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Writer: 赤野 克利

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コメント

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2件のコメント

  1. 中途半端に終わってますね。

  2. 興味深い記事ありがとうございます。
    まだまだ継続して欲しいです。
    貨物好きでもあるので、その記事も見たいです。