消えた航路“26年ぶりの復活!?” 「橋はあるけど」船でも行ける! 仕掛け人はJR西日本
"サイクリストの聖地"として知られる瀬戸内海の「しまなみ海道」で、実に"26年ぶり"という旅客航路の復活が実現。橋ができて廃止された尾道~今治航路が、なぜいま蘇るのでしょうか。
「船もイイじゃないか!」な時代だから!?
冒頭の“26年ぶり”という表現に戻ります。瀬戸内の島々を橋でつなぐ「しまなみ海道」は1999年5月に全区間が開通(自動車専用道の全通はその後)しましたが、その裏で国の計画の下、多くの旅客船航路が廃止・縮小されました。

明治期から1世紀以上の歴史のあった尾道~今治航路も、その時に廃止されました。かつては、四国から山陽本線への“鉄道連絡”として活用されていた同航路でしたが、鉄道の高速化によってその需要が薄れ、さらにモータリゼーションで廃止に追いやられたのでした。
この事業の仕掛人であるJR西日本・中国統括本部広島支社課長の内藤真也さんは会見で、まず26年前の尾道~今治航路廃止によって瀬戸田や「しまなみ」6島が経験した人口減少や商業の疲弊の大きさに触れました。一方で、その後の官民の投資によって「しまなみ海道」が“サイクリストの聖地”として国内外で評価されるようになったこと、瀬戸田ではサイクルシップ導入による海路活用と観光まちづくり活動が両輪で効果をもたらしていることを説明します。
その上で、今回の尾道~今治航路の実現について「生活交通としては難しいが、観光交通という面では可能性があると考えている。交通とまちづくりはセット。島々の観光まちづくりをつないで広げていきたい」(内藤氏)との考えを語りました。
また、会見した今治市の徳永繁樹市長は「合理性を追求した時代から、今、心の豊かさが求められている時代」という言葉で、今回の実証事業を表現しました。
この実証事業は、交通手段の提案だけでなく、まちづくり領域でもしっかり施策をめぐらせています。海上交通を利用することで「海」を玄関とする地域の歴史に触れながら、商業施設での地域との交流を通じて、「しまなみ」の姿をアップデートさせるねらいと言えます。
今回の実証事業で運航する航路は、まだ実証段階であり、厳密に言えば当時とルートも異なるため“復活”という言葉は正確でないかもしれません。しかし、関係地域にとってこの航路の実現には、“復活”という以上に、むしろ新しい時代の到来を期する思いがあると言えそうです。
Writer: 山本佳典
1981年広島県福山市松永町生まれ。英キングストン大学卒。専門誌記者など職を転々とした後、フリーの翻訳・文筆家として活動開始。瀬戸内エリアなど多拠点で多様なテーマに向き合う。著書に『羊と日本人〜波乱に満ちたもう一つの近現代史』(彩流社)。
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