【廃線跡の思い出】沖縄県営鉄道与那原線 戦争の渦に巻き込まれた鉄路

かつて沖縄にも2本の鉄レールを敷いた「普通の鉄道」が存在しましたが、戦争によって破壊され、そのまま消滅。それでも遺構がわずかながら残りました。

終点駅は開業100周年機に「再建」

 日本の47都道府県のなかで、つい最近まで常設の鉄道営業路線が存在しなかったのが沖縄県です。2003(平成15)年8月に沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開業したものの、2本の鉄レールを敷いた普通鉄道の営業路線はいまもありません。

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沖縄県営鉄道与那原線の跡地に残っていたレンガ造りの橋台(2005年4月3日、草町義和撮影)。

 ただ、戦前は沖縄本島に鉄道の営業路線がありました。県都・那覇市を中心に3方向にネットワークを伸ばしていた沖縄県営鉄道、電力会社の沖縄電気が運営していた路面電車、さらに馬が客車を引っ張る馬車鉄道などなど、意外と多くの鉄道路線が存在していたのです。

 しかし、バスの発達に伴って、沖縄電気の路面電車や一部の馬車鉄道が廃止。最後まで残った沖縄県営鉄道も1945(昭和20)年3月、太平洋戦争の沖縄戦で破壊されて運行を停止し、戦後は復活することなく消えました。厳密には法令に基づく廃止手続きが行われていませんが、実態としては廃線と言っていいでしょう。

 私が沖縄県営鉄道の廃線跡を散策したのは、消滅からちょうど60年が過ぎた2005(平成17)年4月。戦争で破壊し尽くされたうえ、戦後は道路整備や区画整理が行われており、遺構を見つけ出すのは相当難しいだろうと思っていました。ところが、実際に廃線跡をたどってみたところ、わずかではあるものの遺構を見つけ出すことができました。

 那覇~与那原間9.4kmを結んでいた与那原線は、1914(大正3)年12月に県営鉄道で一番最初に開業した路線。糸満線の分岐点だった国場駅の近くには、建物と建物の間にある小さな水路にレンガ造りの橋台が残っていました。

 終点の与那原駅は空襲により駅舎が破壊されたものの、戦後は部分的に残った1階の壁や柱を生かす形で新しい建物が整備され、2005(平成17)年当時も残っていました。実際、建物の裏に回ると、1階の部分にある柱が2階の部分には無く、増築によっていびつな構造になっているのがうかがえました。

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Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)

鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。

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