歴史の記事一覧
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「国鉄」「蒲蒲線」「東京メトロ」も作ったのはアメリカ? 日本の鉄道を形作った“戦後7年間”の痕跡
鉄道は戦中から戦後にかけて重要な交通機関でしたが、これは日本に進駐した連合国軍にとっても同じでした。進駐軍は荒廃した日本の鉄道を7年間でどのように変えたのでしょうか。その対応をたどります。
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武蔵野線はなぜ不便なのか? 乗換は「快速とまらない駅」ばかり “後発”環状線のルートが決まるまで
都心から郊外へ向かう「放射線」と、環状のJR武蔵野線が交わる駅は、西船橋、新松戸、南浦和、西国分寺など、優等列車が通過する駅が大半を占めます。なぜこのような乗換駅ばかりになったのでしょうか。
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わずか4年で敗北宣言!「礼をつくすクルマ」として日本に進出 “良くできた外国車” だったのにナゼ?
1997年に日本へ進出したGMのサターンブランドは、値引きなしのワンプライス販売とホスピタリティ溢れるサービスを売りにしていました。しかし、話題になったものの4年で撤退。なぜサターンは日本で受け入れられなかったのでしょうか。
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日本海軍を支えた「豪華客船になるはずだった空母」とは 米海軍の“武勲艦”を撃沈して終戦まで生き残る
日本海軍の空母「隼鷹」は、日本最大の客船として完成する予定でしたが、空母に改造。客船をベースとした特設航空母艦の中では、際立った活躍を見せました。
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なぜ沖縄だけ「アメリカ式道路交通」に変わった? GHQ占領下の東京・大阪が「戦前のまま」だったワケ 理由は “バス” ってホント!?
太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われた沖縄は、1945年から1978年7月末までアメリカと同じ右側通行でした。一方、戦後の日本本土は一時GHQ占領下にありましたが、左側通行のままでした。両地域の違いはどこにあったのでしょうか。
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「大砲ついていたら戦艦じゃないの?」←違います!「じゃあ、何て呼べばイイの?」じつは便利な呼び方あるんです
一般的には「戦闘に用いる船」=「戦艦」と捉えがちですが、厳密にはそうではありません。一方、「軍隊が使う船」=「軍艦」という定義も。「軍艦」と「戦艦」は何が違うのでしょうか。
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総武線はなぜ「へ」の字なのか? 却下された「幻の直線ルート」 線路曲げたらなぜか“OK”に!?
JR総武本線は、亀戸~船橋間で「へ」の字を書くように大きく北へ迂回しています。当初は、市川へ遠回りせずに直線で結ぶ構想でしたが、明治時代の世相が「渡りに舟」となり、現在の線形に落ち着きました。どのような経緯だったのでしょうか。
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「ちょっと異質」なJR川越線 “忘れられたような”存在のローカル線が大変貌できたワケ 今や日本トップクラスの“単線”
首都圏を走るJR川越線は、国防を意識したローカル線としてスタートし、現在は東京や神奈川まで直通する通勤路線に進化しています。その転機は新幹線の建設ですが、何が川越線の命運を分けたのでしょうか。
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日本軍の特攻兵器「桜花」の格納庫が嘉手納基地内に!? 県内唯一の施設がココにあったワケ
嘉手納基地には実は旧日本軍の特攻兵器「桜花」を隠した格納庫があります。なぜここにあるのでしょうか。基地協力のもと、その施設を見てきました。
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鉄道車両の連結器を「ぜんぶ取り換えろ」なんと7万両!? 100年前の一大プロジェクトはなぜ行われたのか?
今から100年前、鉄道の連結器の一斉交換が行われました。これにより、連結作業に携わる連結手の死傷事故が激減するなど、安全性が向上しました。今につながる鉄道従事者の安全の基礎を築いた一大プロジェクトを追います。