【鉄道車両のDNA】空を走る! 懸垂式モノレール「進化」の過程

全国10か所にあるモノレールのほとんどは車両が線路にまたがる「跨座式」を採用していますが、今回は線路にぶら下がって走る「懸垂式」のモノレールを紹介します。

「露出する車輪」から「隠れたゴムタイヤ」に

 世界初の本格的な懸垂式モノレールは、ドイツの工業都市ヴッパータールにあるヴッパータ―ル空中鉄道です。1901(明治34)年に開業し、全長は13.3km。レールと逆側のアームに客室がつり下がる片持ち式で、上に鉄のレールと車輪を設けて走っています。この形式は「ランゲン式」と呼ばれ、現在も運行されています。

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高架の桁にまたがって走る懸垂式モノレールの湘南モノレール(2013年6月、鳴海 侑撮影)。

 日本では1957(昭和32)年、上野動物園(東京都台東区)に懸垂式モノレールが投入されました。これは「上野式」と呼ばれるもので、世界でもここにしかない形式です。

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上野動物園内を走るモノレールの初代車両「H形」。現在は日本車両の豊川製作所で保存されている(2017年10月、草町義和撮影)。

 逆「し」の字型のこのモノレールはレールの上を走り、その下にある軌条を案内車輪で挟むという形式になっていました。開発は日本車輌製造が主導していました。車内はロングシート。車両はH形、M形、30形と更新され、最新の40形はVVVFインバーター制御です。そして現在も東京都交通局の手で運行され、上野動物園を走っています。

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上野動物園モノレールで現在使われているのは4代目車両の40形。写真は脱出訓練が行われたときのもの(2018年5月、恵 知仁撮影)。
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上野式は車輪が露出している(2018年5月、恵 知仁撮影)。

 一方、フランスでは1960(昭和35)年に「サフェージュ式」と呼ばれる懸垂式モノレールが開発されました。サフェージュ=SAFAGEは「Societe Anonyme Francaise d'Etudes, de Gestion et d'Entreprises」、日本語に訳すと「フランス研究管理株式会社」の略で、フランスの大きな企業が集まって作られた国営企業でした。このサフェージュ社のモノレールは車輪にゴムタイヤを採用し、さらに車輪の走る部分を覆い隠すという画期的な手法で登場したのです。

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サフェージュ式の線路はゴムタイヤの車輪を桁で覆うような構造になっている(2017年7月、草町義和撮影)。

 これまでのモノレールはレールが外に露出しており、天候の影響を受けやすくなっていました。特に雨天時はゴムタイヤでは空転しやすく、サフェージュ式はその欠点を補うために逆凹の字型の軌条とします。そして両側2か所の凹部にゴムタイヤを乗せ、車体をつり下げます。そのため、天候の影響を受けにくく、雨や雪が懸念される地域では空転率の少ない乗りものとして活躍できるタイプでした。

 日本では1961(昭和36)年に三菱重工業がサフェージュ式に目をつけ、名古屋の東山公園にデモ線を建設します。動物園と植物園の0.2kmを結ぶこのモノレール線は1964(昭和39)年に0.2kmが開通し、1974(昭和49)年まで10年間営業しました。また、サフェージュ式の降雨、降雪に強い特色を生かし、雪の降る札幌での導入を目指して営業活動をしていたことが関係者の証言からわかります。

京急の有料道路を活用して本格路線を建設

 続いて大阪万博に合わせて新しいモデル線の建設が模索されます。ちょうど跨座式では日本跨座式が万博で登場する予定であり、懸垂式を推進してきた側では焦りが募るばかりでした。そこで三菱重工の工場に近く、ほぼ私道の上を走る大船~片瀬江ノ島間に懸垂式モノレールが計画されます。これが湘南モノレールです。

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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」をはじめ、複数のwebメディアでまちや交通に関する記事を執筆している。

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