【懐かしの国鉄写真】四ツ倉でC62けん引の「ゆうづる」を撮る!
今から50年以上も前、上野と青森を常磐線経由で結ぶ寝台特急「ゆうづる」が誕生しました。常磐線は平(現在のいわき)と仙台の間は電化されておらず、C62が「ゆうづる」をけん引することになったので、さっそく四ツ倉へ撮影に行きました。
夜明けを迎える上り列車が撮影ターゲット
1965(昭和40)年10月1日のダイヤ改正で上野~青森間に常磐線経由の寝台特急「ゆうづる」が新設されました。平(現在のいわき)~仙台間は未電化でしたが、近々に電化が計画されていることや、DD51の需要が逼迫(ひっぱく)していることから、電化までのショートリリーフとして平機関区に残っていたC62がこの区間のけん引機に選ばれました。
当時は急ピッチで無煙化が進められていたので、これはレールファンにとって大きなサプライズとなり、とくに平到着の前に夜明けを迎える上り寝台特急「ゆうづる」は、撮り鉄にとって絶好のターゲットになったのです。
電車ファンの私も、蒸気機関車がブルートレインをけん引するのはこれが最後のケースになると思えば放ってもおけず、大学の友人を誘って撮影に出かけることにしました。
出発は1965(昭和40)年10月16日(土)。上野を22時台に出る青森行きの普通列車に乗車します。この列車は新聞輸送を兼ねていたため、夜行となる水戸以北も各駅に停車していました。
下車したのは平の2駅先の四ツ倉(福島県いわき市/当時は福島県四倉町)。まだ暗い午前4時頃で、数人しかいない駅員は新聞の取り下ろしにかかりっきり、改札口は誰もいません。切符は東京~(常磐線)~岩沼~(東北本線)~東京というコースを買っていたので途中下車となります。もちろん学割で、この頃は営業キロ101km以上が大人運賃の5割引でした。
四ツ倉では私たちのほかに30歳くらいの同業者が2人下車。ここには何度も来ているというので、2人のあとについて線路の端を歩きます。15分くらいでちょっと小高い、いかにも「お立ち台」という場所があり、地面にはフィルムの空き箱も落ちていました。
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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。